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人類史上たった1回しか存在しない「転換期」は1970年だった!?

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「歴史的転換期」とはいったいいつなのか?

「歴史的転換期」と言われて久しいですが、いったいいつが本当の転換期なのか、知りたくないでしょうか。

いろいろなところでそう言われているので、多くの人はなんとなく今が転換期っぽい!と思っていると思いますが、ここのところずっと変革期だ転換期だと言われなれてしまっているので、むしろ自ら変わろうという意欲が先延ばしにされてしまっていないでしょうか。

 

いっそのこと「今日が歴史的な転換の日なので、さあみなさん変わりましょう」と神様が言ってくれるとありがたいのですが。

 

そこで、この疑問に対してたった1本の曲線で、単純明快にひとつの回答を与えてくれるものがあります。

 

ロジスティクス曲線」です。

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 ロジティクス曲線とは、生物学でよく使われるもので、ある環境に生物が置かれるとS字型の流れを経て増殖するということを示したものです。生物の増え方は、最初はゆっくりと増える助走期(1)、そしてあるときから一気に増える大爆発期(Ⅱ)、それからうまくいくと安定的に推移する安定平衡期(Ⅲ)の3つの過程を経ます。すべての生物は環境のなかで「うまくいけば」このような絵を描きます。

 

「うまくいけば」と書きましたが、うまくいかない場合があります。「愚かな生物」は、環境を再生不可能な環境にして食いつぶしてしまうことで、Ⅲが緩やかな右肩上がりではなく、減少して最終的には滅亡します。

この曲線を「修正ロジスティクス曲線」と言います。

  

人間も地球という有限環境の中で増殖してきた生物なので、例外なくこのどちらかの曲線を描くだろうということです。

本当に人間も例外ではないとすれば、大爆発期というのは生物の歴史の中でたった1回しか起きないということであり、変曲点の年代がいつかは特定できるはずだということになります。

 

社会学者の見田宗介さんは、その変曲点は1970年であったという自論を述べています。

 

根拠として

人口爆発国といわれた、メキシコ、韓国、タイの人口増加率を見てみると、共通して1970年付近で人口増加率が減少していること

・そして、世界全体での5年間移動平均でみると、人口増加率(平均年率)は、1965年-1969年の2.1%をピークに急激に減少してきていること

 『現代社会はどこに向かうのかー生きるリアリティの崩壊と再生』(弦書房)より

 

そう考えると、現代は、ロジスティクス曲線のⅡ→Ⅲへの過渡期であるということがよく理解できます。

 

ちなみに、日本の人口の曲線を見てみると・・・思いっきり修正ロジスティクス曲線を描くことが予測されています。

 われわれは「愚かな生物」ではないことを証明したいところです。

 

二つのベクトルが存在する今をどう生きるべきか?

この曲線を頭に描いておくと、世の中の状況が非常にクリア見えてくると思います。

Ⅱの大爆発期のベクトルをイメージして目指している人と、Ⅲの安定期のベクトルをイメージしている人にますます明確に分かれつつあるのが現代だというふうに見えてきませんか。

 

前者は資本主義システムの踏襲によって無限成長を目指す(目指さざるを得ない状況に置かれている)人たち。

もちろんこういう人たちを動かしている少数のブレインたちは激しい競争社会のなかで生き残っているエリートでありバカではないので、地球資源が有限であることくらい百も承知です。そこで、さらなる周辺国を求めるグローバル化と周辺世界をバーチャルに求めるデジタル化というおそらく”最後の市場”の創造を目指しているわけです。(その先には火星という周辺などもあるかもですが。)

 

Ⅲのベクトルをイメージしている人たちは、スローライフ、ダウンシフト、オルタナティブなどのコンセプトを提唱している人たちです。

 

Ⅱのベクトル派自体、地球資源を食いつぶさないやり方であれば、決して間違えではないと思います。結果的にうまくⅢに移行できる可能性もでてくる。一方、成長こそ絶対という思考停止に陥れば人類滅亡への道筋は一気に近づくリスクもあります。

 

逆にⅢのベクトル派は、Ⅱ的「成長」を否定するあまりに「現状維持」を支持することでこちらも思考停止に陥り、やがて衰退を招くリスクがあります。

 

僕は、Ⅱ的ベクトル派とⅢ的ベクトル派すらも共存することで、はじめて安定が生まれ、人類の存続が成り立つのではないかと考えます。

 

ただ、その際どちらの派にも共通するビジョンや価値観を明確にしておくことが大切な気がします。

何れにしても、持続可能な社会を目指すことに変わりはないのですが、どのような持続可能を目指すべきなのか?ということです。

 

つまり、今やはり一番議論しておかなければいけないのは、テクノロジーやお金や原発というアウトプットを批判することではなく、「人間らしく豊かに生き続ける」というは一体どういう状態なのか?

そのビジョンの共有ではないでしょうか。

 

自殺、無差別殺人、ボランティアへの参加、農業への関心。

見田さんは、これら現代を象徴する兆候の共通点を、人として生きること=リアリティへの回帰として解釈していました。

 

正解はないのですが、わたしたちはどう生きたいか?

 

Ⅱ時代における、幸せの方程式は、「経済成長=幸福」でした。

他の生物同様、成長こそ喜びというわかりやすい時期だからこそ、ここまで急激に増殖・発展してきたのだと思います。

 

Ⅲ時代における、幸せの方程式は一体なんでしょう?

 

変曲点を迎えた今、これだけは言えることはこの方程式は変更しなければいけないということです。

 

安定平衡期における豊かさとは何か?

 

成長・発展への過度な依存思考・体質からいち早く脱却しなければ、

これからの時代では、多くの人にとって幸せになれる確率は減ってくるはずです。