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Ted x Tokyo yz 「人類」について所感

Posted on Posted in S1. ワークライフ進化論, 未分類
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先日、TedxTokyo yzにお邪魔してきました。今回のテーマは「人類」。先日進化をテーマにしたブログを書いたばかりでした。キュレーションチームがこのテーマを今選んだのはつくづく時代感覚の共鳴だなあと感じた次第です。 パペット扱い、アニマンダラ提唱者、アーティスト、ロボット法研究者、照明デザイナー、鰹節伝道師、声のアーティスト、看護師、武術家・歴史学者ら10人によるセッションは、まさに人類の多様性を体感できるイベントだったと思います。 レセプションも含めて10人の方々とのお話しから僕なりの解釈も加わってしまい恐縮ではありますが、これからの人類を考えるうえでのヒントを抽出して3つ取り上げさせていただきたいと思います。

 

ヒント1 「合理性」は生き残る理由ではない。

ヒント2 想像する力が現実を出現させる。

ヒント3 人類は拡張する。

 

 

ヒント1 「合理性」は生き残る理由ではない。

アニマンダラ提唱者ヒロさんは、「環世界」のお話しをされました。視力がないダニが観ている世界と人間が目に見えないダニの世界を観ているこれは、まるで別世界です。動物の場合は種毎に環世界があるが、人間の場合「自我」が環世界をもっている。つまり一人一人が観ている世界が違う、そんな種は他になくそれが生き延びてきた理由の一つだというようなお話しだったと理解しています。わかったようなわからなかったような気がしていたのですが、以下はピッチを終えたヒロさんとお話しさせていただいたことです。「最近になって、ホモサピエンスよりもネアンデルタール人のほうが賢かったことがわかったんですよ。」僕たちは、疑うこともなく今の人類が最も賢く最も優れているのだと思いがちですが、これはステレオタイプだったということなんですね。こちらもつい最近になってわたしたち人類の共通祖先が実はミミズのようなギボシムシだということがわかったらしいです。(広島大学プレスリリース(2015年11月19日)

無脊椎動物のギボシムシ(ミミズのような形で、体長は数㌢から2メートル)から合理的に人類までたどり着いたかというと決してそうではない。 ギボシムシ自身もまさか人類になるんだという夢と目標を持って進捗管理をしながら合理的に進化してきたわけではないですよね。進化の歴史は必ずしも合理的ではないということです。ギボシムシもさぞ自分の未来の姿に驚いてることでしょう。「ネアンデルタール人もたとえば同じ品質の石器をつくる能力だとか、動物の捕獲能力もどうやらホモサピエンスよりも高かったらしいよ。」とヒロさん。ホモサピエンスが生き残ったのはむしろいろいろな種類がいたという多様性にあったのだと。進化とは合理性によってもたらされるものではなく、むしろ非合理的な多様性の中から生まれるエラーの結果だったりする、これが面白いところだなと思うんですよね。 そうすると合理性を追求する科学にはどこかに限界があるのだろう、人類の進化を考える際には、その時点では想定していない非合理的なエラーが重要なんだろうという仮説があらわれてきます。そのためにはヒロさんがおっしゃる「環世界」=自我の多様性をいかに追求し担保する社会システムにしておくか。このことが進化の鍵を握っているのではないでしょうか。

 

ヒント2 想像する力が現実を作り出す。

 

「みなさん、ユニコーンはなぜ死んだと思いますか?」

「私がたどり着いた結論は、私が殺したのだということでした。」

 

病気で亡くなりゆく大切な愛犬の死への問題解決として、外見だけでなく内蔵や骨からつくりだす「保存と再現」という作品ーまるで生きているワンちゃんがそこに眠っているかのようーを前にアーティストの平野さんは言いました。 夢の象徴であるユニコーンをいないものとしてしまったのはわたしたち大人のこころなのではないかと。サンタクロースにはじまり純粋な子供にはたくさんの夢が存在している。こんな話はよくある話なのですが、平野さんの作品に込められている執念にはそれ以上ことを思わせるものがありました。 単にフィクションとしてのおとぎの国が大人になるとなくなる、という話ではなく、人間の想念自体が現実世界をつくっているのだという仮説・実感です。 ユニコーンが死んだというのがネガティブなストーリーだとしたら、この世の登場人物のすべては自分がつくり出したものであり、純粋な思いはそれが現実化するようになっているというのが裏側にあるポジティブなストーリーではないかと。想念の力については、最も古くはヴェーダ哲学「魂が純粋になって非常に強い信念をもつと、その信念が実現するよう宇宙がサポートする」 があり、先住民たちはそれを操っていたとされ、アメリカで成功哲学としてルーズベルト、カーネギーそしてナポレオンヒル「思考は現実化する」に昇華し、イチローなどスポーツ選手も実践しているアファメーションなどに及んでいます。今では広く一般化し、How toにまで落とし込まれてきたように思えます。 しかし、これは単なるビジネスのHow Toではないのではないか。今一度本質に戻った理解をするべきではないでしょうか。人類の力が今試されようとしているのではないか、そんな気がしてきました。この作品にはそのような人類のポテンシャルを感じさせられました。

 

ヒント3 人類は拡張する。

はじめはなにかのノイズだろうと思いました。ふと顔をあげてみると、それは聞いたこともない人の声?声!?声のアーティスト山崎さんの発しているものでした。声なのか音なのかはたまた歌なのか。音とはいったいなんなのか。聞いたこともない音に、そして考えたこともない問いにはっとさせられました。彼女はこの音で空間とコミュニケーションをしているのだといいます。音は耳で聞くものと思っているかもしれないが、体中の皮膚も音をとらえることができるのだそうです。発した音はどこにいくのか?目に見えない音は放った後も空間になんらかの変容をもたらしている。私たちの脳は言うまでもなくあらゆる音の中から意図的に必要な音を選択しています。彼女は言います。

 

「あなたが聴けば、世界は歌いだす。」

 

今まで聞いた世界の歌で一番印象に残っているものは一滴の雨のしずくが葉っぱに”落ちるまでの音”だといいます。

 

合理的に考えれば今の時代にパペットという物体を3人がかりで操作する必要はないはずです。なんと生産性の悪いことでしょうか。ロボットにやらせれば1人も不要です。しかし、3人の息がぴったりと共鳴しあいパペットというひとつの物体に投影され、まるで心が宿ってしまっている(あるいはすでにある魂がパペットを通じて3人を動かしているかのようである)パフォーマンスには思わず息をのみました。パックになって売っている鰹節が当たり前な中で育ちクラブで遊んでいた永松さんが鰹節削りの伝導に目覚めたのです。いずれのパフォーマンスも単なる回顧主義には思えず、心を揺さぶられる感覚がありました。身体、五感、そして人や空間との間にある目に見えない共鳴や時空を超えたつながり。近現代が無視か軽んじてきた眠っている人類本来のポテンシャルに人々は徐々に気づき始めているのではないでしょうか。人類はまだまだ大変な可能性に満ちていて拡張していく伸びしろがあるのだと強く確信しました。注意深い対話が不可欠になりますが、東洋思想と西洋思想が相互に補完しあいテクノロジーと宗教が混然一体となり、心身を分離してきた近代のパラダイムを終えるときーポストデカルト時代がいよいよ到来しつつあるのだと思います。昨今はテクノロジーの拡張にばかり気を取られている空気がありますが、ますます”人類それ自体の拡張、進化”について興味が沸いてきた次第です。(もちろん、そのことを広く一般にわかりやすく伝えるための科学の進化がそれをますます加速させてくれるわけですが。)

キュレーションチームのみなさん、お疲れ様でした。貴重な時間をありがとうございました。

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