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三宅洋平がテレビに映らない本当の理由

Posted on Posted in P11. かくめい
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三宅洋平とは誰か?

長髪、ヒゲ、ミュージシャン。第24回参議院議員通常選挙、関東ブロック東京、候補者 三宅洋平。
新聞にもテレビにも映らない。一方で渋谷の街頭演説で1万人を集める三宅洋平とは一体何者なのか?
3年前の第23回参議院議員通常選挙。緑の党からの推薦を受け、比例代表で立候補したが落選した三宅の得票数は17万6970票。これは当選した自民党の渡邉美樹氏の10万4176票や、丸山和也氏の15万3303票より多い。社民党で唯一当選した同党幹事長の又市征治候補の15万6155票よりも多かったが、緑の党全体の票が足りないためにあえなく落選を余儀なくされた。全ての落選した候補者の中で最多の個人得票数であった。

そんな結果がありながらも、まだまだテレビに映らないようだ。僕が大企業のコンサルタントとして”あっち側”にいた3年前、僕を含めた僕の周りには三宅洋平は存在していない人だった。そのことを今、”こっち側”の人たちに話すとひどく驚かれた。”あっち側”と”こっち側”では、流れている情報がまったく違うのだ。

 

これは、マネーエリートとセンスエリートの戦いか!?

経済を動かしている官僚、大企業、投資家というマネーエリートたちと、やや不満だという一般人や、絶対許さないという一部の感情的なセンスエリートたちが多少いるようだ。マスメディアによって描かれている構図は果たして現実を写した実像なのだろうか?
マネーエリートたちは、自分たちが稼いでその他大多数に金を分配すれば、大多数の個人の自由が守られると考えている。一方、マネーエリートが稼ぐ過程において搾取構造がうまれるから、その他大多数の自由と尊厳が奪われると考えているのがセンスエリートたちだ。
どちらの人たちも知っている僕は、どちらのエリートもトップクラスになってくると、自分の立場でできることをやっているだけであって、アプローチは違えども最終的には社会貢献や世界平和を考えていることを知っている。性善説を説いているのではない、それが合理的だからだ。

 

なぜ対立構造が生まれてしまうのか?

それは、現状に満足しているか、現実について自ら考えずにただただリードオンリーを決め込んでいる、そんな自分たち自身がそうさせているのではないか。毎日のカレンダーを埋めること、テレビをつけっぱなしにしてただ時間が経つことを望んていること、波風たたずに嫌われないように周りに合わせて生きていくことで、未来や次世代の問題を考えないようにしている行動しない大多数の自分たち自身が事態の悪化を事実上黙認したままこの世の中が変わらずに突き進んでしまっている原因なのではないか。すなわち、三宅洋平がテレビに出て来ない、存在しないものとなっているのは、政治家でもマスコミでもなくその視聴率を決めている僕たち一人一人がそういう社会を選んできた結果ではないか。
悪く見える政治家も、搾取してるように見える大企業も、政治は遊びじゃないんだよ、ミュージシャンが何言ってんだと言って個人の可能性の扉を閉ざしてしまうのも、全部自分の問題の鏡だ。
マネーエリートにできることは、その他大勢には真似できない。でも、だからといって、その他大勢が自分の尊厳と自由を主張し、実際にリスクをとって行動しないのならば、そこにつけこまれて搾取される、ただそれだけのこと。それは自分が選ぶべくして選んだ道でしかない。

 

7割が不満をもつこの社会は誰がつくったか?

誤解を恐れずに言えば、これまでの社会は経済発展のために個人の自由を制限してきた。そのことについて教育を問題にあげる人が多いが、僕は自主的にそうしてきたという方が大きいと思う。これまでは、誰もが信じられる経済成長が前提としてあったために、その方が結果として個人の自由も得られることが多かったからだ。しかし、世界的に経済がますます厳しい事態を迎えていくなかで、僕らがさらなる経済発展を望むなら一人一人の自由や尊厳を限りなくゼロにするほうが理にかなっているということになるのだが、それを望むか望まないかは、誰かが決めてくれることではない。自分自身で決めることなのだ。
日本は、経済:世界3位、平均寿命:世界2位、治安:世界8位、森林面積率:世界17位。こんなにも便利でいて自然があり安全で健康な国は世界中探しても日本以外にないのだ。日本で餓死して死ぬことなどほとんど不可能と言ってもいい。つまり、環境としては誰もが好きなように生きれる可能性に満ち溢れているはずだ。
それなのに、8割を超えるサラリーマンのうち、ストレスを抱えて不満をもつ人は7割を超えるという。経済という幻想のために、身も心も捧げて毎日不満ばかりもらしながら暮らし続けたいという人がなぜこんなにもたくさんいるまま解決されないのだろうか?

 

ヒゲ、長髪、三宅洋平というアイコンは何を意味するのか?

三宅洋平の社会的な存在意義はまさに、ここにある。あたりさわりのないことにいいね!をして、面倒そうなことにはROMを決めこんでいる大多数の若者たちの心に、音楽と熱意というバイブス(波動)を送り、魂を直接再起動させようとしている。ま正面から立候補してこれだけの勢いを持って挑戦しているミュージシャン兼政治家は日本では初めての人かもしれない。
ちなみに海外ではミュージシャンが政治に影響を与えることは例をあげるまでもなくよくあったし、政治はもともと”まつりごと”であり、音楽は古代から政治とも文化とも深く関わっておりいつも人類とともにあった。昨今では聴覚は視覚以上に意識に影響を与えるものとして科学やスタートアップ界隈でも改めて注目されている。
ヒゲと長髪はやめるべきか?僕もはじめは、ヒゲと長髪やめれば、もっと票をとれるのでは?と思ったが、彼の言うとおり、それでは何も意味がないのだ。誰もが自分らしく、自由に生きられる社会にするために、自らがその象徴として勝つために、リスクを承知で彼はあえてやっている。
彼が、早稲田出身で、リクルートという巨大企業出身と聞いたら、ころっと見方が変わってしまうのなら、ミュージシャンが?ヒゲが?という表層だけで判断してしまっているなと思うなら、本質を見えなくしてしまった「概念」というものにとりつかれてしまっていることにようやく気づき始めている証拠だ。

 

経済という神話を信じるか?自分自身を信じるか?

経済はいくら発展してもトリクルダウンは起きない、サプライサイド経済理論の失敗、市場の失敗。巨大な資本主義システムは大きなバグを抱えながら、それでも突き進んでいる。
もしも、大多数の個人が自分たちの自由と尊厳の重要性に気づいたとき、経済という神話は大きく崩れさる可能性が高い。なぜなら、経済はそもそも共同幻想で成り立っている概念でしかないからだ。これは、比喩でもなんでもなく事実である。
それをなんとか止めるために、神話を全員で信じ続けよう!と呼びかけるマネーエリートたち。
でもどうだろう。これからも誰かがつくり出していく神話と、自分自身、どちらを信じて生きていきたいと思うか?
今、僕たちはその二択を迫られている。
どちらが絶対的に正しいということでは決してない。なにが適切な判断かは時代によっても、移ろいゆくものだ。
環境破壊、3.11、テロリズムと戦争、シンギュラリティー、何が起きるかまるでわからないというこのご時世。世界を「誰かによってつくられる神話」ー経済、お金、国家という概念にこれからも委ねるか?
はたまた「自分と自分を起点とするリアル」ー生きていくために必要な土や水と自然、自分しかもってない自分らしさを源とする仕事、人は生まれたときから全員創造者であることを今一度思い出してみる。そして何がなくなっても何が起きても信じられる、助け合える家族と仲間を大切に生きる。
なぜ、日本人の消費は伸びないのか?国内外のマネーエリートが悩みの種とするこの問題。僕は逆だと思う。日本が歴史的にほぼ単一民族国家であり続けたことは、その豊かさが自分たちの自助努力によって守られてきたという証ではないだろうか。日本人の無宗教性は豊かさの象徴ではないか。何かにすがるよりも自分と家族と自然に感謝しながら生きてきた。その国民性において、心の奥底で今回の文明における”神話”にもしっかりとした眼で疑問を抱いているだけなのではないか。

 

今こそ、選択のとき

僕たち一人一人は知らず知らずのうちに、毎日一分一秒をこのどちらかを選択してしまっているのだ。その選択の積み重ねが自分そのものであり世界そのものになるのだ。
選挙はそれら全ての選択のほんの一部にすぎない。選挙が目的ではない。これから先の未来は誰からも生まれない。すべての自分自身がつくっていくしかない。
逆にいえば、全員が主人公になれる最高にわくわくする時代がくるのだ。

今こそ、かくめいを起こすときだ。

毎日のくらしをかくめいしよう。Life Is Revolution

山下 悠 一

三宅洋平オフィシャルページ