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シンギュラリティーは起こらない。今回のテクノロジーが人類を救う7つの理由ー『<インターネット>の次に来るもの』へのオマージュとして(後編)

Posted on Posted in P11. かくめい, S.4 共生プラットフォーム, S1. ワークライフ進化論, S2. スモールビューティフルシングス, S3. 大きなものの分解と再生
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—目次—

<前編>

1. テクノロジーは結局のところ人類の「敵」か「味方」か。2つ目のシナリオ

2. 人類は「テクノロジー」への態度を決めなけばならないときが来た

3. 「テクノロジー自然生態説」とは??

4. テクノロジーが人類を救う7つの理由

<後編>

5. 本質を見極めるための3つのガイドライン

6. テクノロジーとスピリチュアリティーの統合

7. テクノロジーは人類を「最適化」する

8. (結論)テクノロジーの真の目的とは?

9. おわりに

 

前回までの<前編>はこちら


<後編>

5. 本質を見極めるための3つのガイドライン

一. 個別事象と「大きな流れ」を見極める

前編冒頭の繰り返しになるが、イノベーションにはそもそも痛みや破壊を伴うものだ。人工知能(AI)によって、これまでの仕事の半分がなくなるという話がある。自分や家族が出版業界や音楽業界にいたら、AppleやAmazonが最高にムカつくと思う。でもテクノロジーの流れは良いも悪いも引っくるめて必ずそうなる不可避なできごとだ。Appleのスティーブ・ジョブズもAmazonのジェフ・ベソスも大きな時の流れのなかで生まれるべくして生まれたのであって、彼らがいなくても必ず他の誰かがやっていたのだ。

200年前のアメリカ人の70%は農場で働いていたが、産業革命の結果、今では1%となりほとんどが機械に置き換わったという。しかしもちろん69%の人たちが失業したわけではなく、その当時考えてもみなかった新たな仕事が生まれていった。これからもそうなっていくだろう。いや、そうでもないかもしれない。乱暴に言ってしまうなら、金融資本主義による肥大化・虚構化した現在の経済を成立させている職業の多くが消滅するということこそが21世紀の人類にとって、あるべき宿命なのかもしれない。生き方・働き方の個別化、分散化によって、”小さな職業”の種類はむしろ増大するトレンドになっていくはずだ。更には人工知能がほとんどの仕事をやってくれる社会において仕事の全体量は減り、「働く」という概念も変化し、それに伴って「生きる」という概念も変化するだろう。著者は高度に進化した先進社会では、仕事というものがなくなるということではないだろうか?”と言う。まさにそうなりつつあるのだ。

大事なことは大きな流れが「不可避」であることだ。前述した通り、波に飲み込まれるまえに、大きな流れをうまく読んで波乗りしていくことが大切になる。

 

二. まずは流れに「乗ってみる」

流れる方向を正しく知っていれば、過渡期における不具合にとらわれて嘆くことも少なくなる。例えば、インターネットに溢れる情報は真偽が不確かで、書き込みは誹謗中傷にあふれ、インターネットは真実を見えなくする悪であり失敗だったと判断を下すのは時期尚早である。生き残ってきたSNS、WEBサービスやプラットフォームの多くは、匿名性を排除し、実名性を採用している。またユーザー同士の評価を可視化するなどして、分散化した「共監視」の仕掛けを保持している。一部ではオンラインサロンのように会員制をとることで信頼性を担保するという進化を見せている。インターネットの本質は、流動化、分散化、個別化、共有化、集合化、無料化、唯識化にあり、必ず”あるべき方向”に収斂していくはずである。であるならば、流れに任せて分散化、個別化、共有化など自らがその流れに積極的に参加していくほうがスマートだ。今回のかくめいのすごいところは、誰もが自ら行動できるし、参加できる流れなのだ。(ちなみに、機械音痴の人も大丈夫。これからのテクノロジーに説明書はなくなるどころか見えないエネルギーのごとく、空気のような存在になっていくのだから。)

すなわち、「誰もが自らみたい未来をたぐり寄せることができる」のである。

 

三. 「ポジティブ」に禅問答を繰り返す

どんな局面においても善と悪は共存する。あえて触れてこなかったが、いつの時点でもテクノロジーは間違えなく人類の脅威になり得る。善も悪も同じように7つの流れに沿って進化し、”新しい善が新しい悪を呼び覚まし、それがまた新しい善をもたらすという円環を繰り返していく”のだ。大切なことは善悪の判断を下すことで思考を停止してそこで自己満足してしまわないことだ。次から次へと起こる変化は不可避であり、絶え間なく流ていくのである。そのなかで、我々自身が真実は何か?禅問答を続けることだと思う。問いかけがあり新しい答えが出てくる、そしてまた新たな課題に対して問いかけ、答えを出していく。その根底では明るい未来へみなで向かっているんだという穏やかな信仰を抱くことが、テクノロジーと共に幸せに生きる秘訣なのではないだろうか。

筆者の言葉を借りるなら”ユートピアでもなく、ディストピアでもなく、プロトピア”である。プロトピアとは、プロセス=今そのものを理想とする考え方だ。ディストピアに嘆きながら今を過ごすでもなく、全てを解決するユートピアを待つのでもなく、問題を次々と解決していく「今」あるプロトピアをポジティブに楽しもうではないか。

 

6. テクノロジーとスピリチュアリティーの統合

ここからは完全な持論だが、21Cに確実に起こると思えることは、これまで分断してきた「テクノロジー」と「スピリチュアリティー」が統合されていくということだ。これは、17Cにデカルトの「物神二元論」によって科学と宗教を分離してきて以来の大革命が起きるということを意味している。

前述の7つのフレームワーク(1流動化、2分散化、3個別化、4共有化、5集合化、6無料化、7唯識化)は、この大きな流れを意識したものだ。

物質中心の世界から非物質の世界へと移行し、すべてが流動化する社会において「諸行無常」であることに人々は気付き始めるだろう。個別化と集合化は個別意識と全体意識を実感させ、わたしはわたしたち以上の存在であることに気付き、”Oneness”を実感するようになる。そして、集合化した全知の中、唯識化=「今ここに、唯(た)だ生きる」ようになるだろう。目の前を移ろいゆく幾多の情報と幻に囲まれながら、常に自分が何者か?を問いただす日々は、「瞑想的日常」と言えるだろう

科学にも宗教にも疎い僕のような人間がこれ以上深く言及することは控えておきたいが、比較的新しい物理学の分野のひとつである量子力学と仏教、禅が同じような世界を見ているということは有識者たちの見解になりつつあるようだ。21C、いよいよ分断していたテクノロジーとスピリチュアリティーは二重螺旋を描きながらお互いがお互いを高め合うように統合していくのだ。

 

1960年代以降、ヒッピーたちは、反戦、公民権運動などの背景を通じて資本主義社会を否定し、カウンターカルチャーのムーブメントをつくっていった。彼らは物質に支配された現代を憂い、人間の意識改革を通じてもっと高次元の精神的存在になるべきだという思いから仏教、ヨガ、禅を学だ。そういった流れの一方で新しいテクノロジーを積極的に取り入れようと貪るように読んでいたのが「ホールアースカタログ」だった。ヒッピーたちもテクノロジーとスピリテュアリティーの融合を夢見ていたのだ。シリコンバレーはそういったカウンターカルチャーの土壌から生まれた。

ご存じのとおり、禅を愛し、ホールアースカタログを愛読していたスティーブ・ジョブズがパーソナルコンピューティング、インターネットで現代のかくめいの礎をつくったというのは偶然ではなく大きな流れの中に起きた不可避な出来事だったのだ。

そして、著者のケヴィン・ケリーこそが、まさにこのホールアースカタログをつくった張本人である。

さらに、同書の編集者であり、友人でもあるNHK出版の松島倫明さんのことを紹介しないわけにはいかない。松島さんが編集された本は、クリス・アンダーソンの『フリー ―<無料>からお金を生みだす新戦略』、『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』、またレイ・カーツワイルの『シンギュラリティは近い [エッセンス版] 人類が生命を超越するとき』、そして本書、といずれもテクノロジー&ビジネス分野で時代を占う最先端でありベストセラーの出版・編集に携わっている。それだけではない、まるで真逆のような『BORN TO RUN 走るために生まれた』、『GO WILD 野生の体を取り戻せ! 』という非テクノロジー化を促すような大変興味深いベストセラー本の数々に対して両軸をいったりきたりしながら編集されてきた、とんでもなく興味深い人である。(ちなみに、ブロガーイケダハヤト氏も注目中である。「「編集者」で本を選ぶということ:NHK出版の松島倫明さんの作品がツボすぎる」

そんな松島さんの大学の卒論タイトルがなんとも秀逸で「Digital Love & Peace」だったそうだ。彼はまさにずっとこのテーマを追い続けているのだ。テクノロジーとも共生する平和社会を夢見る仲間の一人であり、また出版だけに終わらず実生活においてもテクノロジーを活用しつつ自然を愛するライフスタイルを実践されている。その驚くべき先見性と一貫性には脱帽である。

 

テクノロジーは、かくめいの道具箱だ。人類が愚行を繰り返し、危機に瀕した際にそれを助けるべく生まれるものもまたテクノロジーであると信じたい。

ヒッピームーブメントのカウンターカルチャーが途絶えてしまったのではない。むしろ巨視的な視点で見れば、その流れは脈々と現在まで引き継がれ、現代のテクノロジーによってその大きな流れは加速している。今世紀のかくめいは確実に速やかに進むはずである。

自然と平和を愛する人たちにはもはや定着化しつつある「パーマカルチャー」は、持続可能な社会を構築するためのデザイン思想と手法であり「人が手をかけることによって森をもっと豊かにすることができる」という思想背景がある。これは、本来的にはテクノロジーに対して否定しない思想だ。にもかかわらず、パーマカルチャリストの中で21Cの新しいテクノロジーの本質を理解し、積極的に受け入れ、持続可能な社会システムのデザインにとこもうとしている人の数はまだまだ少ないのではないだろうか。

また、政治的に「リベラル」と言われる勢力にとって、新しいテクノロジーは自分たちの史上最強の味方であるにもかかわらず、こと日本においては保守(権力・既得権益)側と混同してしまっている部分もあるせいか、まだまだ十分融合できていない状況が歯がゆいところである。

しかし、いずれも不可避な流れの中で必然的な融合は徐々に起こっていくだろう。

スタートアップセクター(テクノロジードリブン)、ソーシャルセクター(NPO/NGO、市民運動)、ビジネスセクター(大企業)、クリエイティブセクター(アーティスト、ヒッピー、宗教家)この4つのセクターの分断が、まさにテクノロジーの「不可避」な流れの中で、必然的に融合していく日は近いと確信している。

 

. テクノロジーは人類を「最適化」する

人類の人口推移を描くロジスティックカーブは、20Cは爆発的な増加、21Cには変曲点を迎え、定常化に向けた漸近線を描く。一言でいうならば「欲望の20C」、「共生の21C」と言えるだろう。

『テクノロジーは人類を「最適化」する』の意図は、20Cのテクノロジーは、人類の欲望を満たすために開発されたのと同じように、21Cのテクノロジーは、共生のために開発されるのが「不可避」な流れだという考え方である。

つまり、僕たちが「テクノロジー」の是非について議論する場合、誤解を招いている諸悪の根元は、区別すべき20Cのテクノロジーと21Cのテクノロジーを区別せずに議論してしまうことにあるのだと思う。20Cの遺産としてのテクノロジーー化石燃料を活用した技術や原子力発電などーはもちろん、21Cには無駄で不要な存在になるものだ。21Cでは「人工」対「自然」というパラダイム自体が過去のものとなっていく。

分散化し、個別化し、共有化され、集合化し、人と人とがつながることで一番インパクトを与えるのは「戦争」だろう。著者はいう。

人間が戦争好きなのは「誰もが知っている」ことだが、思うに社会的な軋轢を解決していくための方法が地球規模で時間をかけて生まれるに連れ、組織化された戦争は魅力を失い、役に立たないものになるだろう。

7つの流れのなかで開発されていく21Cのテクノロジーは、21Cの人類を最適化していくもの、 すなわち、自然とテクノロジーが共生していくものである。20Cと21C両者の「テクノロジー」はまったく別の目的を持った別ものである。

また、別の言い方をすれば、欲望の20Cにおけるテクノロジーの目的は「有用性」であった。人間にとって最高の価値は有用性ではない、というのが21Cにおける視座である。共生の21Cにおけるテクノロジーの目的は必然的に「至高性」に向かうのだ。

 

8. (結論)テクノロジーの真の目的とは?

テクノロジーは、結局なんのために生み出され続けるのか?

それは極論、”人間を人間たらしめる存在であることに気づかさせるということ”のために人類は自ら生み出しているのだろうという著者の主張には100%同意する。

テクノロジーが人間性を獲得して代替しようとすればするほど、新たな人間性というものが再発見されていく。結局、自分たちが何者であるかを知るためにテクノロジーを必要としているのだ。

そしてより深く、より広く、自分たちが何者かを「知る」ことによって、ますます人類は拡張していく。僕たち人類には、”宇宙の物質やエネルギーの96%は未だ見えていない”という。それ以外のわからない領域をスピリチュアルや宇宙人などまがい物とレッテルを貼っていたものは、21Cのテクノロジーによって知覚可能になり、自覚することで本来の能力を発揮できるようになっていくのではないだろうか。

そうすると、人口知能(AI)が人間を超えるか?という問いの設定自体が浅はかに思えてくる。人間はきっと今理解できているよりはるかに深く、はるかに多様であり、テクノロジーはそのことを知るための手助けをしてくれるパートナーなのである。

 

9. おわりに

冒頭に、未来の予測について信用できるのは「ヒッピーあがりの起業家」だけだと申し上げた。

それは、なぜかといえば結論で述べたように、テクノロジーは本質的には人間を人間たらしめるための道具であって、お金儲けの道具ではないからだ。もちろん、人間の本質的なニーズを満たすからこそビジネスとして成立するので、その意味において両方の目的が一致するポイントがある。そのピンポイントの的を捉えられるのが、生きる本質とビジネスの本質を両方理解しているヒッピーあがりの起業家なのだ。僕は、そういった意味において著者であるケヴィン・ケリーという人間を信頼している。

お金儲けだけならまだいいが、人間のダークサイドの欲望を満たすためにテクノロジーを利用する人たちが一定量を超えるとすると、人類は地球という大きな共生システムの中で不要とみなされ消滅してしまう種になりさがるのだろう。それを回避しなければいけないし、できることだ。

全てのものごとには陰陽があり、テクノロジーとて例外ではない。

結局テクノロジーそのものに善悪はなく、避けられない生態的な変化に沿って進化していくだけだ。大切なのはそれを扱う自分たちの意識だ。正しくテクノロジーを生み出し、正しく使っていけばいいのであって、自己否定や悲観にまみれて未来を憂いつつそれらに接することは、むしろ人類をダークサイドに導いていくことにつながっていくのかもしれない。

未来を予測することは不可能だ。しかし、同書の価値は、未来を進んで受け入れ「未来を信じる力」を僕たちに与えてくれたことだと思う。

「不可避なもの」=「自然の摂理や人間の”本質”」を正しく理解していれば、

どうせそうなる明るい未来に向けて、今を楽しむだけで良いのではないかと思わせてくれるのである。

 

written by  山下 悠 一 

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