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シンギュラリティーは起こらない。今回のテクノロジーが人類を救う7つの理由ー『<インターネット>の次に来るもの』へのオマージュとして(前編)

Posted on Posted in P11. かくめい, S.4 共生プラットフォーム, S1. ワークライフ進化論, S2. スモールビューティフルシングス
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—目次—

<前編>

1. テクノロジーは結局のところ人類の「敵」か「味方」か。2つ目のシナリオ

2. 人類は「テクノロジー」への態度を決めなけばならないときが来た

3. 「テクノロジー自然生態説」とは??

4. テクノロジーが人類を救う7つの理由

<後編>

5. 本質を見極めるための3つのガイドライン

6. テクノロジーとスピリチュアリティーの統合

7. テクノロジーは人類を「最適化」する

8. (結論)テクノロジーの真の目的とは?

9. おわりに

 


<前編>

1. テクノロジーは結局のところ人類の「敵」か「味方」か。2つ目のシナリオ

イノベーションにはそもそも痛みや破壊を伴うものだ。「新しいもの」が破壊をもたらす「敵」なのか、はたまた人類を進化させる「味方」なのかをその時点で判断することはとても難しい。21世紀になり、20世紀までのテクノロジーは人類にとって地球にとって良い存在だったようには思えないところもある。では果たしてテクノロジーは敵と断定すべきなのだろうか?21世紀のテクノロジーの進化の加速度が増していくなかで、その問いに答えることはますます難しくなっていきそうだ。

テクノロジーが行き着く先に関するもっとも有名な説は、人口知能(AI)分野の研究で世界的な権威といわれているレイ・カーツワイルが唱える2045年には「コンピューターが人類の知性を超えシンギュラリティ(技術的特異点)を超えることで人間と機械は融合し、不老不死となり”ポストヒューマン”が誕生する」というものだ。まさに映画マトリックスのようなSF世界が現実になるというわけだ。

こういった人工知能(AI)の出現に懸念を表明する見識者の中には、世界トップクラスの科学者や経営者もいる。イギリスの物理学者、スティーブン・ホーキング博士はその一人である。「人工知能は病気や戦争、貧困の根絶に貢献する可能性がありながらも、人類史上最悪の脅威になりえる」と語っている。また、今世紀最高の経営者とも言われるテスラモーターズやSpaceXの創業者であるイーロン・マスク氏は「人工知能は悪魔を呼び出すようなもの」として、慎重な議論や姿勢を呼びかけている。

このように人工知能が人類を超えるか超えないかというような論点とはまったく異なる斬新な説として、ケヴィン・ケリーの「テクノロジー自然生態説」とでもいうべきものにフォーカスを当て考察していきたいと思う。

ケヴィン・ケリーは、若い頃はヒッピーであり、あのスティーブ・ジョブズもヒッピー時代に夢中になって読んだ伝説の雑誌ホール・アース・カタログを世に出した人物のひとりだ。その後、テクノロジー系ジャーナリズムの草分けである雑誌WIREDを創刊、99年まで編集長を務めた。前著「テクニウム」では、その思想的支柱を解説し話題を呼んだ。今回出版された『<インターネット>の次に来るもの』(以下本書)はさらに実際に起きつつあるテクノロジーに関する膨大なデータや実例を引用しながら自説の現実性を補完している。本書はニューヨークタイムズのベストセラーにも選ばれており、日本においても起業家やビジネスマンにとって、間違えなく今年1番の必読書のひとつと言えるだろう。

 

 

2. 人類は「テクノロジー」への態度を決めなけばならないときが来た

しかし、本ブログはむしろテクノロジーに興味・感心がない、あるいはテクノロジーに否定的か拒絶反応を起こす人たちにこそぜひ読んでほしいという思いで書いている。新しいテクノロジーがビジネスチャンスとばかりに躍起なビジネスパーソンよりも、自然や平和をこよなく愛し、戦争や原発に反対しているひとたちに向けている。僕自身がそういった読者の一人でもあるからだ。できればテクノロジーというよくわからないものを悪者にして避けて生きていければという気持ちもある一方で、よいものは使っていけばいいではないかという葛藤があった。

現に、僕たちの生活は多かれ少なかれテクノロジーに頼るらざるを得ない生活に取り込まれているという歴然とした事実がある。その現実を踏まえて未来をどう捉えるべきか?様々な問題が差し迫った21Cの初めに立つ人類は、テクノロジーとどう向き合っていくべきか、いよいよその結論を出すべきときがきている。

ここで言う「人類」とは、テクノロジーを操る側である一部の科学者や事業家や政治家たちのことを指しているではない。圧倒的多数の一般的な僕たちのことだ。僕たちはテクノロジーを完全否定して決別して生きていくべきなのか、消極的に使っていくのか、もっとポジティブに付き合っていくことで本当は世界をもっとより良くできるか。

本書が示している思想と方法論は後者のものである。テクノロジーという冷酷そうで得体の知れない”よそ者”に対して、愛情を持って暖かな目で”彼ら彼女ら”を受け入れたとき、驚くべきことにそこには暖かく光に満ち溢れた優しい存在が浮かび上がってくる。ここは騙されたと思って読み進めていただきたい。

本稿でいう「テクノロジー」とは、インターネット、IoT、人工知能(AI)、センサー技術、仮想現実/拡張現実(VR/AR)、ロボット、ドローン、ブロックチェーン等いわゆる昨今いろいろなところで取りざたされる新しいテクノロジーのことを指しているが、提示するフレームワークは今後でてくるであろう様々なテクノロジーの多くに適応可能なはずだ。

ちなみに、未来を予測する人たちの中で僕が最も信じられる人は「ヒッピーあがりの起業家」だという思いは本書を読んで確信に変わった。なぜかということについては最後に述べることにする。

 

3. 「テクノロジー自然生態説」とは??

同書のタイトルは「〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則」となっているが、原書のタイトルは“THE INNEVITABLE”ー『不可避なもの』である。

テクノロジーは(人類にとって)「不可避なもの」であるというのだから、これは強烈なメッセージだ。選択の余地がないというわけである。実は米国版よりも先行で中国で出版されたということだがそのタイトルは『必然』だという。

一般的な考え方だとテクノロジーというのは人間がつくり出してきたもであるから、人間の意志、力、目的、意識によって自由にコントロールできるものだと思うのだが、そうではないと断言しているのだ。

個別のテクノロジー全てが不可避だと言っているわけではない。”ネットワークのネットワークとして世界に広まったインターネットというトレンド自体は不可避だったがそれがどんな種類のインターネットを選択したかはそうではない。声のメッセージを遠くに送る電話というトレンドは不可避だったが、アイフォン自体はそうではない。”というように。

あくまでここで言っている不可避な流れとは、大きなトレンドのことであり、そのトレンドには見えざる法則めいたバイアス(傾向)と避けがたい慣性の力が働いているというのである。テクノロジーの変化とは「内在する基礎的な物理法則から来る」ものと主張する。このような考え方は前著『テクニウム』を前提としている。

「テクニウム」という思想概念は、テクノロジーの進化は生命における生態系と同じもの」として捉え、テクノロジーは自律的に進化すると主張するものだ。

長年テクノロジーの進化を最前線で見続けてきたなかで、「テクノロジーにも背景にある理論のようなものがあるのではないか」と気付き、テクノロジーに見識のある人々にインタビューを3、4年続けた結果、誰もそのセオリーを持っていないことに気付いたという。そして、生物学とテクノロジーはまったく同じものであるという「テクニウム」理論に至ったというのだ。

本書では、このテクニウム理論を下敷きにした上で、より具体的にこれからの不可避なテクノロジーのトレンドを12のコンセプトにまとめている。

BECOMING、COGNIFYING、FLOWING、ACCESSING、SHARING、FILTERING、REMIXING、INTERACTING、TRACKING、QUESTIONING、BEGINNINGの12章からなっているが、各タイトルはテクノロジーに詳しくなければ馴染みの薄い英語がずらっと並んでおり、これだけ読むとよくわからなくて読む気も失せてしまうかもしれない。僕自身も理解するのに時間を要したし、消化不良でもあったため、自説も加味した上で本稿では新たな7つのくくりを提示したうえで論じていきたいと思う。

 

4. テクノロジーが人類を救う7つの理由

そもそもテクノロジー進化の法則が生態系のそれと同じであるならば、テクノロジーを理解するためのフレームワークも生態系の基本的法則に則って整理したくなる。そこで、ーこれはとてもチャレンジングなことだがーテクノロジー生態系なるものの基本フレームワークを考えてみたい。

テクノロジー進化の不可避性は、著者の言うように物理学でいれば熱力学第2法則のようなものだ。熱は高い方から低い方には流れるが、低い方から高い方には戻らない、不可避な現象のことを指す。あるいは、エントロピー増大の法則のように「自然(世界)は、”秩序から無秩序へ”という方向に進む」ということが不可避だ。そのような自然界の本質的に不可避な変化がテクノロジー進化の方向性を占う道標になるというのだ。

本稿の前半は、ケヴィンの論考を受け、独自の解釈を加えた上で新たな7つのくくりを提示する。

また、7つが出揃った後の後編については、更に独自の見解を加えて、テクノロジーの本質と未来の捉え方を提示していきたい。ケヴィンへの最大限のオマージュ(敬意)を込めて。

 

一. 流動化(脱固定)
二. 分散化(脱中央集権)
三. 個別化(脱全体主義)
四. 共有化(脱所有)
五. 集合化(脱個人)
六. 無料化(脱既得権)
七. 唯識化(脱現象)

 

一. 流動化(脱固定)

物理学的に言えば、固体の方が安定的なのだが、エントロピー増大の法則に従うなら、固体はなんらかのエネルギーを受けることで液体に、液体は気体に”なりたがっている”。もっと言ってしまえば物質は非物質に”なりたがっている”。

同書によれば、GDPの金額あたりの物質の量は減少しているという。”1キロあたりのGDP価値は1977年dw1.64ドル、2000年で3.58ドル。非物質化は倍増している。”

産業革命以降20Cまでの大量生産大量消費で人類史上最もものに溢れている中、それらが21Cには流動化し、物質量としては減少していくという流れがあるべき必然であり、まさに現テクノロジーはその動きを加速させる方向に向かっている。

各家にあったCDはもはやクラウド上から必要な時にアクセスすればよく、何一つ持つ必要はなくなった。

人類史上全ての書籍をデータ化しつつあり、それらはもはや枕元におけるほどになってしまっているという。

そうなってくると、本の概念自体が変わっていく。wikipediaのように、出版された本は、それで完成ではなく、様々な人が参照したり、付け足したりすることで、日々アップデートされていき、流動的な存在になっていく。あらゆるものは、完成品ではなく成長・進化し続ける未完で流動的なものになるという。

「ドローン」がなぜここまで人々を魅了し、市場はますます成長しようとしているのか。これも、重力で固定されていた存在が流動化し、自由になりたがっている、という本質的不可避な流れの現れなのだろう。

デジタルアートの世界で活躍するチームラボの猪子さんが「人類を物質から解放したい」と述べているのも、流動化という大きな流れを物語っている。

 

二. 分散化(脱中央集権)

「分散化」も、熱力学第2法則やエントロピーの法則的に考えると必然で不可避な流れだ。

分散化をもたらした最たるテクノロジーはいうまでもなくパーソナル・コンピューティングとインターネットだ。スティーブ・ジョブズは「IBMが支配する世界からの解放」として暮らしを便利にする手段を民衆のためのものにした。インターネットによって、誰もが手軽に知識を得られるようになった。これは遠い未来から振り返ったとしても、人類史の中で革命的な出来事と記録されていることだろう。

アーティストは、中世では一部のパトロンを見つけなければいけなかったが、いまではオーディエンスへ自ら直接販売することができるようになった。

また、分散化は仕事の仕方にまで影響を及ぼしている。作業を分解し、分担することで、同僚が物理的に同じ場所にいなくても、世界中どこでもいつでもコラボレーションして働ける、クラウドワーキングというワークスタイルが起こりつつある。

分散化の究極は、現在の貨幣システムがなくなるかもしれない、ビットコインだ。”ビットコインを支えるブロックチェーンという仕組みは、世界中のビットコイン所有者が分散した形で取引台帳をもっており、所有者と取引履歴のチェーンは誰もが点検可能になっている。管理・監視機能を集権化しなくてもP2Pで信用性を担保するすごい発明だ。”

中国では、政府の監視を免れるために中継局を介さないネットワークを構築することで、中国政府を何ヶ月も締め出してコミュニケーションできるシステムがつくりあげられたという。

分散化がもたらす社会は、中央の権力者が監視するという体制から分散化された個々が相互に監視しあう「共監視」という体制に移行していくことを意味する。

人類は何百万年もの間、部族や氏族の中において行為は丸見えで秘密などなく、進化論的には「共監視」はわれわれにとって自然状態なのだ。循環する世界では、お互いが本当に公平で対照的に共監視が行われるなら、快適なものになり得る。

としている。

20世紀までの政治やビジネスの世界では、それが共産主義であろうが民主主義でであろうがいずれも「分散化」した社会を構築しようという思想にもかかわらず結果的には組織は中央集権化に向かい、権力が腐敗してイデオロギーが形骸化するということを繰り返してきている。僕が夢見る革命とは、まさに21Cのテクノロジーがコアエンジンとなって、真の分散化社会を実現させることだ。インターネット革命はケヴィンもいうように、大いなる第一歩ではあるが、ほんの「はじまり」に過ぎないのだ。

 

三. 個別化(脱全体主義)

「コンシューマーからプロシューマーへ」これは、未来学者アルビン・トフラーが命名したものだが、前述の流動化、分散化によってもたらされる「個別化」の流れだ。

個人はもはやヒエラルキーのある大組織の一員としていやいや兵隊のように生きる必要はなくなる。

今や、トップクラスのフォロワー数を誇るインスタグラマーが発信することで数千万単位で洋服が売れるという時代だ。だれもが使いこなせる簡単なツール(写真や動画アプリ)を駆使してセルフブランディングし、プロモーションすることで、大きな売上を上げられるということは、従来のカメラマン、芸能プロダクション、マスメディアという巨大な既得権益者たちを一気にすっ飛ばし、権力を分散化、個別化してしまう革命的な出来事だ。

また、あらゆるプロダクトやサービスは「パーソナライズ」する不可避な流れが進行していく。自分好みの本を選ぶとき、音楽を選ぶとき、様々なシーンで「フィルタリング」機能を活用し、それを人工知能が学習していくことで、常に自分好みに合わせて物事が最適化していく。

自分がどこで何を見て誰と何を話したか、いつどんなとき身体はどんな状態だったか、SNSだけでなくこれからますます当たり前になっていくであろうウェラブルデバイスは、自分自身を記録する「ライフログ」として機能していくようになる。そういった、自分自身の客観的で量的な記録から浮かび上がってくるのは、「自分が何者であるかという自己像、アイデンティティ」に他ならない。

テクノロジーによって個別化されることで強いられるのは、僕たちがより自分らしく生きる」ことである。

 

四. 共有化(脱所有)

流動化、分散化、個別化によって、より自分らしく生きる多様な人たちで世界は満たされていく。一方、それぞれ個別化していくと持ち物がダブついたり、仕事がかぶっていたりして、非効率になっていく。「共有」することで効率化しようというのが必然的で不可避な流れだ。

昨今のテクノロジー業界でトレンドとなっている「シェアリングエコノミー」とはこの流れのことだ。

”ホテル、ツール、衣服、おもちゃ、食品、家具、健康、住まい、休暇・・・”あらゆるものは、個別で所有するよりも、共有したほうが効率的だ。

これは、前述の「流動化」とも相まって、「ものを持たず」に「共有」するという現象になっていく。

ものの所有権を購入するという購買活動は、共有されたクラウドに対するアクセス権を定額利用する「サブスクリプション」へと移行していくのは不可避なトレンドだ。

メンテナンスやアップデートもクラウドソーサーに委託することになるので、いつも最新で綺麗なものが利用できることになる。次から次へと新商品を出しては買わせていた20Cよりもよっぽど親切でクリーンな商売だ。

20Cの競争原理による自由市場では解決できなかったものたちー”再貧相への医療提供、無料の教科書開発、珍しい病気の薬の資金調達”などは、テクノロジーの「共有」の力によって解決できるようになる。

PatientsLikeMeというサービスは、自分のカルテ情報をシェアすることで患者同士のコミュニティーを形成し、相互に助け合うというモデルだ。当初、さすがにプライバシーを守りたいだろうからそんなシェアリングサービスはうまくいかないと思われていた。しかし、顧客は驚くことに、プライバシー保護よりも共有による価値を選んでいるのだ。

「個別化」と「共有化」は表裏一体の関係だ。個別化(パードナライズ)を望む=自分固有のサービスを受けることを望むのなら、共有化=プライバシーを度外視した透明性ある個人情報のシェアが必要になる。

そんなプライバシーを提供するのは嫌だというのであれば、自分と他人が同じ扱いをされる不公平かもしれない社会に対してなにも文句を言えない、ということになる。

裸になれば自分そのものになれるが、服を着れば社会的になるというのは考えれば当たり前のことだ。どのレベルを選ぶかはTPOで決めればいい。自由を求めるなら権利と義務が発生するという当然の理というものだ。

ものや情報を共有していくということは、人は「持たざるもの」となってどんどん裸に近くなっていくということであり、それは狩猟採集民族だった人類の祖先の姿と似ている。人類は農業をはじめてから「持つもの」になっていった。21Cという限られた資源、定常化時代において、テクノロジーの手を借りて再び「持たざるもの」へ回帰していくのは必然であり不可避な流れなのだ。

また、同書で面白い概念のひとつに「デジタル版社会主義」がある。

FBが14億人国民を持つ国と考えるとトンデモナイ自体が起きていることになると著者は言う。”FBの生産物であるコンテンツは誰がつくっているか?FBに雇われている労働者ではなく、無給の投稿者たちの労働によって支えられているのだ。”

信頼性は中央集権的にコントロールしないと担保できないという神話をwikipediaが見事に破壊した。人類の叡智を集めようという共通の目的のために、有象無象の”無料の労働者”たちが、知恵を共有しあうことで集合化し、信頼性を担保していくというかつてない試みが成功を収めた。

これからのテクノロジーが進めていく分散化、個別化、共有化という流れは

私有材を認めない古典的中央集権的共産主義でもなく、純粋な市場の自己中心的カオスでもない。分散化した人々の協調によって、純粋な共産主義や資本主義ではできない新しいクリエイションと問題解決のためのデザイン領域ができつつあることである

と述べている。

共産主義でも資本主義でもなし得なかった個人の自立と集団の力の共存」が可能になるのだ。

 

五. 集合化(脱個人)

流動化し、分散化し、個別化して、共有化する人類の姿を一言でいえば「裸になり、つながってひとつになる」=「集合化」と言い換えることができるだろう。

あらゆる情報がクラウド化していく、人類の記憶がクラウドに集約していく、そこから送られてくる情報によって日々の意思決定が最適化されていく。これは、人と人の脳がつながって、全世界の脳がひとつになり、世界の意識がひとつになっていくということにより近づいていくといえるのではないだろうか。

自ら情報を提供・共有し、新しい知識を取り込む習慣が身につくことで多様性に対する需要度が高まり、あらゆる変化や矛盾に対してオープンになる。あらゆる境界がなくなっていき、人と人の境界が曖昧になっていく。

同書の表現でいうならばわたしはわたし以上”になり、個人でありながら全体性をもった人類へと進化していくことは不可避な流れだ。

著者が、ネット上のリンクからリンクをたどりパラパラとネットサーフィンに勤しんいる状態を”集合的な無意識の中に入り込んでいる、まるで白昼夢のよう”と述べているが印象的な表現だ。

また、もののインターネット(IoT)ーあらゆるものがインターネットにつながっていくなかで、より機械と人間がやり取りする「インタラクティング」が増すのも不可避な流れの一つだ。文字通り人工知能と人が当たり前のように会話するようになっていく。今でも、Siriや女子高生AIりんなちゃんを恋人扱いしている人たちがいるようだし、ご高齢者がロボットと会話したときに「こんなものが欲しかった」と涙ながらに喜ばれたという話を友人から聞いたこともある。この「インタラクティング」は、人は機械とも愛情を通わせるようになるということだと思う。つまり、人は、自然や人だけでなく機械とも、すなわち全てが「つながっていく」のだ。

 

六. 無料化(脱既得権)

あらゆるものを共有し、集合知となっていく流れの中で、あらゆるものが全人類にとっての「コモンズ(共有財)」となっていく。テクノロジーは「無料化」、「コモディティー化」を迫るものだ。

2002年のIMF白書によれば、”コモディティーの価格は過去140年にわたって毎年1%下がる傾向に有る”とされる。”1世紀半の間にモノの価格はほぼ無料になってしまう”のだ。

それもそのはず、デジタル化されるものは全てコピー可能なため(流動化)、この流れは不可避である。

テクノロジーで代替されていくものは全て「無料化」していくと言える。

とはいえ、現状のようにGoogleやFacebookのような巨大企業が我々の情報を全て牛耳って既得権益化しているではないか、という意見もあるだろう。これも本質を理解すれば過渡期的な事象にすぎないと判断できるだろう。著者も、共有化・集合化・無料化の最後のステップとして全てがコモンズとなる「インタークラウド」をあげている。情報が独占を嫌がる傾向は不可避なのだ。

そうした強い無料化という流れの中で、反作用として逆方向の不可避的流れがおきる。「本当に価値あるものは何なのか?」という絶え間ない問いかけにより「コピーできないものの価値の再発見」が起きてくるということだ。

このことを「経済等式の位置の逆転」と呼ぶそうだ。音楽はライブからはじまり、カセット、CD、そしてデータのサブスクリプション(定額制)に移行してどんどん無料に近づいていく中で、再び「ライブ」という体験型の価値が増してきている。「やっぱりライブがいいよね」というものは一通りコピーされる音楽の価値が均質化(コモディティー化)しまったことによって気づく人が増えたことを考えると、ある意味「テクノロジーが本当の価値を教えてくれた」ようなものではないか。

それ以外にも様々なコピーできないものー信用、人とのつながり、即興性、体験、実物、個人的な意識、解釈、感謝、愛情・・・などの価値の再浮上が起こるだろう。

著者は、唯一コストが増加するのは「アテンション」だと言っている。「単位時間あたりの経験」である。情報やサービスは毎分毎秒無料となっていきまるで空気のような存在になっていく。一方で、その中でどれを選びとって自らの体験に時間を使うかという単位時間当たりの経験量は変わらない。天文学的なデジタル情報たちが、希少な我々の時間を我こそはと確保しようとするのだから、我々の体験価値は天文学的プライスレスになっていくのだ。

 

七. 唯識化(脱現象)

流動化によって、あらゆる情報が常に目の前を流れいき、分散化・個別化によって情報は自分に最適な形にパーソナライズされ、共有化によって過去と未来に関するあらゆる人類の叡智を現在に取り込むことができる。そんな世界で人の意識にどんな変化が起こるか?

それは、「今という貴重な時間と体験を大切に生きる」という流れだ。

テレビがスマホになり腕時計になり、眼鏡になり、タッチパネルになり、あらゆる情報はいたるところで「スクリーン」に映し出される。「スクリーン」は「リアルタイム思考」を促す。そして、リアルタイムに判断し、即座に行動することを迫る

流動化時代においては「サーフィンする」というライフスタイルが適することになる。刻々と変化する波をとらえ、今その瞬間を最大限に楽しむのがサーフスタイル。ネットサーフィンとは言い得て妙というわけだ。

人は、より自分の意識、感覚、体験を大切に生きるようになる。仮想現実(VR)によってあらゆる体験は、今目の前で起きてしまうことになる。もはや物理的場所や時間にすら縛られなくなるのだ。そして、何が現実で何が虚構かの垣根がどんどん曖昧になっていく。

更にテクノロジーは過去には到底できなかった、不可能なことを次々と現実化していく。夢と現実の境もなくなっていく。

ここでも、VRなんて所詮バーチャルだ、機械は機械、リアルが大事、自分の意識と身体感覚が大切だという「経済等式の位置の逆転」が起こる。しかし、ますます両者の距離が縮まり、融合していくなかで、何が本当のリアルなのか、何が真実かなのかがますます見えなくなっていくだろう。

著者が記した「クエスチョニング」というトレンドは、これからまさに人類はそういった真実を追求していく時代になることを示している。僕たち人類の存在とは一体なんなのか?答えのない「禅問答の世紀」になる。日々目の前にする「あらゆる現象」は全て幻かも知れない。では幻にとらわれない生き方とは?

テクノロジーこそが、人類を生きる本質への道に導いてくれる存在のかもしれない。

(前編:完)

 

<後編>はこちら

—後編の目次—

5. 本質を見極めるための3つのガイドライン

6. テクノロジーとスピリチュアリティーの統合

7. テクノロジーは人類を「最適化」する

8. (結論)テクノロジーの真の目的とは?

9. おわりに