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今流行りのマインドフルネスに物申す。29年間ネイティブアメリカンと共に生きてきたぼくが伝えたい、本当の「あるがままに生きる」とは?

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今回ご紹介するのは、ネイティブアメリカンと共に暮らし、実践してきた先住民の叡智を元に企業やプロの教育者向けにコミュニケーション、リーダーシップ、イノベーションに関する独自の教育を行うマザーアースエデュケーションの松木正さんです。

昨今ブームになっている「ティール組織」にみるまでもなく、近代以降の社会・人・組織のメタファーであった「機械」パラダイムは終わろうとしており、時代はVUCAワールド(複雑系社会)の限界を突破する新たなメタファーを必要としています。

次の時代に台頭してくるのが「生態系」というメタファーです。ネイティブアメリカンは、まさに自然と共に生きてきた先住民族の一つであり、かつて西洋文明によって壊滅的な打撃を受けてしまいましたが今再び彼らの叡智が注目を浴びており、これからの思想形成において大きな拠り所になるのは間違えないと確信しています。

松木さんは、ネイティブアメリカンのラコタ族と長い年月を過ごし、伝統的な儀式を執り行うことを認められた数少ないシャーマンであるだけでなく、そのシャーマニズムから多大な影響を受けて社会変革方法論にまで発展したプロセス志向心理学*などの科学的知見の両軸を兼ね備えた、教育者として唯一無二の存在です。

展開されるお話の中には、これから人類におこるべくして起こる根本的な意識レベルのパラダイムシフトとそれに伴う全く新しいイノベーション創出方法、コミュニケーション・組織論、リーダーシップ論のヒントがてんこ盛りになっています。

また、禅、密教、ヨーガ、山伏、神道、道教、マインドフルネス、ボディーワーク・・などの古代叡智とそれを元にした手法との数々の共通点を見いだすことでしょう。ネイティブアメリカンの叡智もその他古代叡智も、最新の科学と合理性と共に未来の叡智へ紡がれていく過程にあるのだと思います。

今の社会、今の自分自身のあり方に疑問や限界を感じている全ての人たちにお届けます。

 

プロセス志向心理学*
アメリカのユング派心理学者アーノルド・ミンデルが中心となって創始、発展させてきた、心理療法、自己成長、関係性への取り組み、社会運動等に、統一的に活用できる体系。アーノルドミンデルは、シャーマニズムからの影響を強く受けており、現代のシャーマンである松木さんが最先端の心理学に基づく方法論を使いこなしている所に、大きな意義があると筆者は強く感じている。ちなみに、プロセス思考心理学は、シャーマニズムの他にも、老荘思想の「道」の概念、量子物理学、マハトマ・ガンディーやキング牧師などに多くの影響を受けている。

告知:3月27日(火)19:30 -22:00(開場19:00)@神田Co-loungeにて、同タイトルの講演会を開催します。詳細はFBにて。


 

スウェットロッジ*から出てきたぼくは、草むらの中で起き上がれずにいた。

ラコタ族の精神的なリーダー(メディスンマン)であるロイは、横でパイプ椅子に座ってタバコをふかしながらぼくの様子を見ていた。

「タダシ、ここに来なさい」

よろよろとほふく前進し、ロイの横にひざを抱えて体育座りになった。まるでおじいちゃんと孫が並んでいる図だ。

真正面に広がる平原の星空を見ながら、おじいちゃんはぼくに質問をした。

「この大地に生きるものにとって、一番大事なのは何かわかるか?」突然の投げかけられた壮大なテーマの問いに、ぼくは即座に答えることができなかった。

黙っているとロイが言う。

 

「faith、信頼だよ。信頼のないところには、何も起こらない」

 

「faithは何から始まるかわかるか?」

またもや難しい質問だ。ぼくの返事を待たずにロイは言った。

 

「accept、受け入れることだ」

 

著書『あるがままの自分を生きていく』(松木正著)より抜粋

*スウェットロッジは、ネイティブアメリカン・ラコタ族に伝わる儀式の一つ。マヤ、アステカやエスキモーなどなど世界中の先住民儀式に見られるものでもある。文字通り、「汗の小屋」という意味で、10名から20名程度が入れるムロをつくり、その中に焼けた石を入れた蒸し風呂の中に入る。ラコタ語では「イニーピー」といい「子宮回帰」を意味する。母なる大地の子宮であるロッジは、身体、精神、魂を浄化する聖なる空間として、ラコタ族にとっては季節ごとや毎週ごとなどなど定期的に執り行う日常的なものでなくてはならない儀式の一つである。 

 

 

ー 松木さんは、どのように、ネイティブアメリカンに導かれたのです?

 

生まれは京都の伏見。周りは刺青の入った人たちが多いような街で育ちました。男あるもの、強くあるべし、僕はただただ強い”マッチョな人間”を目指していたんです。

大学2年生19歳の夏でした。実家のある京都から父の故郷である北海道まで無謀なことに走る挑戦をしたのですが、心臓がうまく機能しない状態になり、ドクターストップ。そして、これをきっかけにうつ状態になってしまいました。

両親は同志社大学で心理学を学んでいて、そのつてで当時はまだ走りだった「心療内科」でカンセリングを受けることになりました。初めはカウンセラーの言っている意味もわからなかったのですが、徐々に、自分の妄言を受け入れてもらえることで安心感が湧いて、元気が出てきました。完治するのに1年半かかりましたね。

 

肉体追求から心の追求へ

キャンプ場で、子供達に指導するキャンプカウンセラーという仕事をやっていました。男芸者みたいなもので、キャンプでのアクティビティで人をのせるようなことです。

それからYMCAの職員になりました。YMCAにはアメリカの風がいち早く入ってきます。アメリカでは環境教育というのが流行っているらしと。そして、感覚教育やValue Education(価値の明確化教育)、知識偏重から体験を通じた主体的学習など、アメリカ教育の最先端を見聞きするようになっていました。

そして、そういった最先端の環境教育なるものが、ネイティブアメリカンの叡智をモデルにしていたということもその時知ったのです。YMCAには、もともと全米で唯一のラコタ族とのパイプがあったことをきっかけに、1989年アメリカサウスダコタ州シャイアンリバーインディアン居住区(ラコタ族)に初めてコミュニティーの一員としてそこに住み、インディアンの子供たちの教育に関わる仕事をはじめることになったのです。

 

ー ネイティブアメリカンの儀式の中でも一番メジャーなスウェットロッジがありますが、これはどんな体験なのですか?

 

「受け入れる」力

スウェットロッジというのはコミュニティの皆で簡単にいえば蒸し風呂に入るわけですが、とても神聖で重要な儀式として位置付けられており、季節ごとや毎週行うものです。

ぼくがスウェットロッジを初めてまともに経験することになったのが、冒頭の回想シーンです。もっとも衝撃的だったのは、入り口のちょうど反対側に座っていた二人の男性でした。1メートル90センチはあろうと言う身長、130キロはありそうなごっついおっちゃんだった。大きな身体に赤銅色の肌、鷲鼻でまさに映画に出てくるインディアンの戦士そのものでした。

ところが、驚いたことにこの二人が自分の祈りを捧げる順番になった時、ものすごい勢いで泣くんです。「ウワーン、ウオーン、オウオウオウ」と。ぼくは呆気にとられてしまいました。大の男が泣くなんてとんでもないと、”マッチョ”な生き方にしがみついてきたぼくの前で、この理想的マッチョの超人がわんわんと泣いているのです。

そして、周りの人たちはその様子をものすごく暖かく受け入れているん。

「ホー」

と言う声が、何度もあちらこちらから聞こえてきます。これは「そうなんだね」「わかるよ」と言う共感を表す

インディアン流のシンプルなあいづじです。

スウェットの中ではみんな思い思いの願いを語ります。それは、「祈り」であって別にシェアしているわけではないんです。でも一緒にいるメンバーはその祈りにただただ耳を傾けて「ホウ」と声をかけあうんです。受け入れられているというなんとも言えない安心感、場そのものが安心感に包まれているのです。

 

それでもぼくはマッチョマンでしたから(笑)「俺は強いし、泣かないし」と思っていました。

そして、ついにぼくの番がきた時に、自分の祈りを始めてみると・・・出るは出るは、そこからは正直あまり覚えていないのですが、とにかく一気に泣きじゃくりました。そして、誰からともなく歌い出しました。一緒に泣いている人もいました。ぼくの祈りは日本語だったのでわかるはずもないのに。

「ホー」。安心が高まって行く。

冒頭でアンクル・ロイの「faith」と「accept」の話をあげました。ラコタの人たちにとって、スウェットロッジという儀式は自己肯定感、つまり「私は存在していていいんだという安心感」を育てる場になっているんです。

 

人は、ありのままを認められると、素直な自分や弱い自分を語ることができます。そして、それによって初めて今いるところから未知の領域に一歩踏み出し、冒険して見ようかという気持ちになる。つまり、「受け入れる」ということこそ、真の創造者への入り口なのです。勇ましいネイティブアメリカンたちの力の源は、まさにこのスウェットロッジの儀式というシステムがキーになっているのです。

 

現代社会では、ぼくたちは社会の中でどうあるべきか、どうすれば成功できるかと、社会的に目指す像や他人と比較して、「今の自分に足りないものはないか?」、「ないもの探し」をして生きることを求められて来ました。そして、何かを達成する、認められることによって初めてその差分がなくなり自分を受け入れられるようになるという「条件付きの自己肯定」で満たされて来ました。

しかし、本当の幸せや本来潜在的に持っている創造性発揮において、この思考には大きな限界があるのです。

人は、自分の弱い部分や、影の部分を受け入れることで、本当の意味で強くなれる。自分にないものを埋めるのではなく、自分にあるものを全て受け入れる、ということです。これは、過去の偉大な心理学者や賢人たちが共通して言っていることにも合致します。

 

ーネイティブアメリカンが自然の中で生きる中で培って来た叡智とは何なのか?について詳しく教えてください。

 

現代人の特徴である「思考」の限界

まず、現代人が拠り所にしている「思考」には限界があるというお話です。僕たちは日々思考によって過去を振り返り、将来を予測し、計画をたて、物事を進めるようと考えています。思考が創造の源泉だと”思い込んで”います。これが実はそうではない、という話です。

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私たちは、日々「今までの世界」すなわち「日常の合意された現実」の中で過ごしています。これは、過去の経験によって生まれた思考の産物である自分が信じていることー「ビリーフ」によるものです。人間の脳は、生存のため、常にこの「ビリーフ」に基づき、安全・安心な道を選択するように意識・行動させようとするのです。

実は、これが「広がる世界」すなわち「創造の世界」に入ろうとすることを邪魔している「ビリーフシステム」というものです。このシステムに置いて「不安」や「恐怖」という感情が重要な役割を担っており、これら感情は我々の生存を守るべく、不確実な「広がる世界」ではなく、確実な「今までの世界」に引き戻すように働いてくれます。

 

一方、自分の奥底にある「エッセンス」という存在・・・それは、心理学的には「集合的無意識」などと呼ばれるものであり(わかりやすく言えば「本来の自分」とでもいうべきものですが)、「広がる世界」すなわち「創造の世界」に常に導こうという力を出し続けているのです。

こうして「合意された日常」に引き戻そうとするビリーフの力と、「創造の世界」へ導こうとするエッセンスの力の二つのベクトルがせめぎ合う場「エッジ」が生まれます。

真の創造とは、いかにこの「ビリーフシステム」の罠から抜けだし、「エッセンス」の力を知覚化して「エッジ」を突破するか?にかかっています。

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ぼくたちは、「創造の世界」へ入っていくために、この「エッジ経験」をいかに自覚するかに注力を注ぎます。ぼくがやっている儀式や研修の場というのがまさにこの「エッジ」を体験するためのものなのです。

 

ーでは、この「合意された日常」から「創造の世界」へ行くための限界である「エッジ」を超えるにはどうすればいいのでしょうか?

結論から言えば、この限界を超える突破口が「いまここ」という時空間(新たな次元)なのです。

僕たちは、時間も含めた4次元世界に生きています。そのことを人とコミュニケーションする時には、紙やスライドを使うので通常2次元で表現することが多いので、僕たちはこれを「フラッドランド」と呼びます。僕たちは普段、フラットランドに暮らしています。

 

わかりやすくこの紙を使って2次元で説明しますが、僕たちが、この右側の「広がる世界」に行こうとするときに、このように必ず壁にぶつかります。さて、ここをどうしたら超えられる?

「ジャンプですか?」

そうだね。上にジャンプすれば超えられますよね。つまり、3次元に行くことでようやく壁を超えることができる。真のイノベーションを起こすということは、”次元をあげて”今までの世界を超えることなのです。

 

それで、元の話に戻しますが、「思考」というは実は「過去」と「未来」しか行っていないのです。自分の「ビリーフ」が生まれた地点=つまり過去の情報から判断して、「ああした方がいい」、「ああすべきだ」と、今までと同じ状態である安定や安全を計算して提示してきます。人は「思考」しているとき、過去の事象を探してきて自分のビリーフを見つけ、それを元に未来に飛んで行っているのです。つまり、思考には過去と未来しかなく、「今のリアリティ」を見ていないのです。

 

「いまここ」の本当の意味とは?

では「いまここ」とは何か。それは、誤解されていますが「過去、現在、未来」という線形の次元の中における「現在」とは違う次元のものなのです。

 

スウェットロッジなどの儀式の力というのは、この「いまここ」に繋がる力なのです。自分の内側から溢れ出てくる感情というのはこれは通常の意識状態ではないものー変性意識と呼ばれていますがーに持って行かされます。わかりやすく言えば、左脳的な顕在意識の思考の遮断を余儀なくされ、右脳的な潜在意識が作動し始めます。

自分の内側にある本来の自分=「エッセンス」に繋がる時空間こそ、この「いまここ」であり、エッセンスと繋がれるのはこの一点しかないのです。

ネイティブアメリカンには「ワカン・タンカ(Wakan Tanka)」という言葉があります。創造主、宇宙の真理、大いなる神秘のことをさします。ネイティブの哲学では、この世のことは全てこのワカンタンカが創造したものであり、この世の中心にワカンタンカが存在していると考えます。

ワカンタンカは、この「いまここ」の次元に現れ、「エッセンス」を経験させようとします。ところが、人は再び思考によって、元の時空間の自らのビリーフに戻ろうとします。こうして「エッジ」で新たなせめぎ合いが生まれます。

 

4次元空間に次元を一つ加えることができるのが、唯一「いまここ」なのです。

「今ここ」は、5次元世界への入り口です。最新の物理学、ひも理論によれば宇宙は11次元でできてると言われています。これまでの世界を超えた、「創造の世界」への入り口が「いまここ」なのです。

 

わかりやすく言えば、過去、現在、未来の現在からその「奥」に入り込んで行くイメージです。「いまここ」は、「俺」「松木正」を超えた「それ」と絡み合った状態です。創造の力は今にしかない。「俺」から「それ」へ「大いなるもの」と繋がる、「エネルギーそのものになって行く」、それは、自分半分の状態、「それ」と共にダンスするのです。このあたりはもはや言語化は困難な領域です。

 

鍵を握るのは、「エッジ経験」

僕たちは何かするときに、うじうじしたり、どうしようか飛ぼうか飛ぶまいかと行ったりきたりしたりする感覚があると思います。これが、「今までの世界」と「広がる世界」の「エッジ」にいる状態であり、しっかりと捉えるべき「成長」の機会なのです。

過去のビリーフに満ちた既知の世界は安心ですが、創造の世界は「未知」だから「怖い」「不安」なのが当たり前です。だから、戻ろうとするのです。ということは、「怖い」という感情を自分の内側に見つけた時、それこそが”GO”サインだということです。

僕たちは、ついついいつもと変わらない気の知れた人としか付き合わないですよね。そして、ちょっと嫌だな、萎縮する、苦手、不安だなと思う相手。こういう人とこそ付き合ってみることが大切です。

 

「エッジ」を意識的に感じ取る力、それはすなわち自分の感情や身体感覚に意識を向けることが重要だということです。次にのべる「フラート」は、「合意された日常の世界」から「創造の世界」へと繋がる「いまここ」に入る入り口のことです。

 

エッセンスに繋がるための「フラート」

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一番下の「エッセンス」とは自分の深い奥の奥の方にあって、自分そのものとも違うし、形もないし、実態もありません。

「フラート」とは、「エッセンス」と繋がった時に起こる、”向こうが注意を引いている”感覚のことです。自分から見るのではだめで(それは「合意された現実」からの視点だから)、向こうから見る視点が必要になります。

例えば、森に入った時、なんとなく鳥が自分に訴えかけてきてるな、と感じたらそれがフラートです。普段、暮らしていても、意識的ではないのに何となく向こうから注意を引いてきたサインがあるという経験はみなさん多少なりともありますよね?これは、いわゆる変性意識状態なのです。

それが知覚できたら、大切なことはそのままあるがままに感じることです。すぐに「思考」によって意味付けしてはいけません。例えば、それを声にして表現してみたり、色に例えてみたり、動きとして身体で表現してみたり、映像化してみたりする。そのエネルギーと同一化していくと、エッセンスからの問いかけにふと「気づき」が生まれることがあります。

この「気づき」は人によって様々で、言語化されたものとして突如降ってくることもあれば、言葉にできない体感的な気づきであることもあります。

「フラート」するものこそが真に本来のあるがままの自分の願いなのです。これがとても重要なポイントです。すなわち、「今までの世界」で「思考」したものは、本来のあるがままの自分の願いとは程遠い的外れなものであることが大半なのです。

 

「ドリーム」は、すでにお話した「エッジ」付近にある無意識レベルのことなので、まさに「今までの世界」と「広がる世界」が入り乱れています。みなさんが見る実際の夢というのも、合意された現実の世界と、エッセンスから流れてくる創造の世界が融合したものと考えられています。

このドリームを分析することは、過去の心理学者がやってきたことでした。自分の見た夢を語っていく時に、その場面で「向こうが、注意引いてくるものなにかな?」などと問いかけを行っていくと、フラートの要素が含まれていることに気づくことができます。

 

ーどうすれば「フラート」という感覚になれるのでしょうか?

例えば、目標持たないでウォーキングすることなどは良いプラクティスになります。その中で、例えば風が注意を引いてきたなと思ったら、その吹いてきて風になって見るようにしてみると、何が浮かんでくるか?身体知をとぎすます必要がありますね。

例えば、いつもビルに囲まれた都会でものごとを考えていたらどうなるか?都会はどちらかというと思考の産物であるので、必然的に「考える場」になります。「機械」に囲まれていれば、機械的発想にしかなり得ないのは当然の結果でしょう。より、自然豊かな場所にいれば、それが自然なのですから、創造のプロセスも生命体のような流れになっていきます。

ぼくがやる研修では、森の中で自然になって歩く練習「フォックスウォーク」というのを取り入れたりします。こうすることでフラートが起こりやすくなります。

 

ーあらためて、「あるがまま」であるとはどういうことなのでしょうか?

「あるがまま」と「なんでもあり」の違い

みんな「あるがまま」というと、「なんでもあり」なんだ!と勘違いしてしまうんですよね。

これは全然別ものです。あるがままを取り戻す上で、一番の問題なことはぼくたちは「あるのにないことにしている」ことがとても多いと言うことなのです。

 

実は「あるがまま」であるということは、「合意された日常」のビリーフシステムの中で「周縁化」してしまっている自分の一部を取り戻すという行為なのです。

 

心理学的には影(シャドー)と言ったりしますし、ぼくのワークでは「モンスター」と言ったりします。自分の中で大きくモンスターに化けてしまっている不安、恐怖、怒りなどの感情を抱かせている対象こそ、自分が周縁化してしまってまだ受け入れられていない自分の一部なのです。

 

人生の中に出てくる登場人物は全て、自分の投影です。「悠 一」の舞台にはキャストがたくさんいて、みんながそれぞれ演じていますが、スポットライトは一つしかなく、「悠 一」と周辺にしか当たっていません。

他は影になっていて、つまり「周縁化」しているわけですが、それは普段自分が意識してない自分自身なのです。このたくさんの自分たちを取り戻すことによって、自分は本来のあるがままの自分になっていくのです。

 

「周縁化」しているものに気づくこと

何だかざわざわしている、という感情に自覚的に気づくことがまず大切です。とても微細な、言葉にしえないシグナルが日々たくさん起きています。「いまここ」に起きている感情への自覚こそが真実を見せてくれるのです。

 

ー ネイティブアメリカンのコミュニティーのあり方については、これからの社会に何かヒントになるものがありますか?

 

ティオシパイエ(拡張家族)というコンセプト

ネイティブアメリカンの儀式は、自分自身(エッセンス)と繋がることを通じて、自分のあるがままを表にさらけ出します。ということは深いレベルの自己で繋がっていく訳で、そこに強力な繋がりが生まれます。

これらの儀式は意図的なコミュニティの結束を高めるための装置として機能しているのです。いろいろな状態の人がいて、そのあるがままをお互いに助け合いながら受け入れていく。

そうやって共依存ではなく、相互依存関係を複雑に結んでいくことで、生態系のような強いコミュニティが成り立っていくのです。

その証拠に、アメリカにきた人たちが、ネイティブアメリカンを征服する時に、一番恐れたのは、武器でも戦士でもなくこの「ティオシパイエ」という深いつながりだったのだと言います。

彼らは、シェリー酒とウイスキーを与え、白人の個人主義的アイデンティティーと共に個別化させることで、このティオシパエを破壊することに成功してしまったのですが。

 

ー このような教育をどのような層に届けたいですか?

リーダーシップからエルダーシップへ

子供達やもがいている大人たちはもちろんですが、もっと大人が成熟しないといけないですよね。メタスキルを持った大人ー「慈悲深さ」や「寛大さ」など。自分の成功体験ではなく、心のこと、新しい次元のこと、そして至福のこと。自分はそうなりたいし、これからもいい年寄りをつくって行きたいね。

 

ー 自分が変わることは、社会が変わることと関係ないと思われることはないでしょうか?

 

悠 一も、「今までの世界」と「広がる世界」を行ったりきたりしてるよね。実は、それは局所的ではなく、非局在的に起きていることなんだよ。

自分が変われば世界は変わるとはよく言うけど、世界は悠 一と共に一緒になって行く。・・・そのようになろうとしているんだよね。

 

ー 松木さんのこれからのビジョンはなんですか?

これをああしたい、こうしたいということは特にないです。ただ、ジョセフキャンベルが言う”至福の体験”ーああ、今死んでもいいと思える瞬間ーを味わって生きたいよね。それは、何か達成するということではなく、きっと、日常の中にふっと現れる一瞬なのかもしれないね。

(2018年3月6日  インタビュー / ライティング by 山下悠 一 )

 

松木さん2松木 正(まつきただし)

マザーアース・エデュケーション

大学在学中、キャンプカウンセラーとして小学生・中学生を対象とした教育キャンプに携わる。

また在学中、自身がうつ病を克服していく過程でカウンセラーと出会い、教育の現場にカウンセリングの手法を用いることの可能性を探り始める。 

 卒業後、大阪YMCA六甲研修センターに奉職。「体験学習法」を用いた企業研修や幼稚園児から大学生までを対象にカウンセリングの手法を用いた野外教育(キャンプ)を実践。 アメリカの環境教育に出会い、本物を目指して渡米し、アメリカ先住民の自然観・宇宙観・生き方、またそれらをささえる儀式や神話に強く引かれ、サウスダコタ州シャイアン居留区に移り住みスー・インディアン(ラコタ族)の子どもたちの教育とコミュニティ活動をしながら伝統を学ぶ。 現在、神戸でマザーアース・エデュケーションを主宰し、“自分をとりまく様々な生命(いのち)との関係教育=環境教育”をテーマとし、独自の環境教育プログラムを展開。企業、学校での人間関係トレーニング、また子供の保護者に向けてのワークショップ・子育て講座、アメリカ先住民の知恵を前面に打ち出したキャンプの企画と指導、神話の語り(ストーリーテリング)、個人カウンセリングと独自のワークショップを展開中。企業研修ではPlan,Do,See内の研修を手がけ、個人と企業の成長とイノベーションに大きく貢献した。 

ラコタ族の伝統儀式を執り行うことを許された数少ない日本人の一人。


告知

3月27日(火)19:30 -22:00(開場19:00)@渋谷C-loungeにて、同タイトルの講演会を開催します。

ぜひ、松木さんの生の言葉・体験を味わいにきてください。詳細はFBにて。