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人類史上たった1回しか存在しない「転換期」は1970年だった!?

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「歴史的転換期」とはいったいいつなのか?

「歴史的転換期」と言われて久しいですが、いったいいつが本当の転換期なのか、知りたくないでしょうか。

いろいろなところでそう言われているので、多くの人はなんとなく今が転換期っぽい!と思っていると思いますが、ここのところずっと変革期だ転換期だと言われなれてしまっているので、むしろ自ら変わろうという意欲が先延ばしにされてしまっていないでしょうか。

 

いっそのこと「今日が歴史的な転換の日なので、さあみなさん変わりましょう」と神様が言ってくれるとありがたいのですが。

 

そこで、この疑問に対してたった1本の曲線で、単純明快にひとつの回答を与えてくれるものがあります。

 

ロジスティクス曲線」です。

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 ロジティクス曲線とは、生物学でよく使われるもので、ある環境に生物が置かれるとS字型の流れを経て増殖するということを示したものです。生物の増え方は、最初はゆっくりと増える助走期(1)、そしてあるときから一気に増える大爆発期(Ⅱ)、それからうまくいくと安定的に推移する安定平衡期(Ⅲ)の3つの過程を経ます。すべての生物は環境のなかで「うまくいけば」このような絵を描きます。

 

「うまくいけば」と書きましたが、うまくいかない場合があります。「愚かな生物」は、環境を再生不可能な環境にして食いつぶしてしまうことで、Ⅲが緩やかな右肩上がりではなく、減少して最終的には滅亡します。

この曲線を「修正ロジスティクス曲線」と言います。

  

人間も地球という有限環境の中で増殖してきた生物なので、例外なくこのどちらかの曲線を描くだろうということです。

本当に人間も例外ではないとすれば、大爆発期というのは生物の歴史の中でたった1回しか起きないということであり、変曲点の年代がいつかは特定できるはずだということになります。

 

社会学者の見田宗介さんは、その変曲点は1970年であったという自論を述べています。

 

根拠として

人口爆発国といわれた、メキシコ、韓国、タイの人口増加率を見てみると、共通して1970年付近で人口増加率が減少していること

・そして、世界全体での5年間移動平均でみると、人口増加率(平均年率)は、1965年-1969年の2.1%をピークに急激に減少してきていること

 『現代社会はどこに向かうのかー生きるリアリティの崩壊と再生』(弦書房)より

 

そう考えると、現代は、ロジスティクス曲線のⅡ→Ⅲへの過渡期であるということがよく理解できます。

 

ちなみに、日本の人口の曲線を見てみると・・・思いっきり修正ロジスティクス曲線を描くことが予測されています。

 われわれは「愚かな生物」ではないことを証明したいところです。

 

二つのベクトルが存在する今をどう生きるべきか?

この曲線を頭に描いておくと、世の中の状況が非常にクリア見えてくると思います。

Ⅱの大爆発期のベクトルをイメージして目指している人と、Ⅲの安定期のベクトルをイメージしている人にますます明確に分かれつつあるのが現代だというふうに見えてきませんか。

 

前者は資本主義システムの踏襲によって無限成長を目指す(目指さざるを得ない状況に置かれている)人たち。

もちろんこういう人たちを動かしている少数のブレインたちは激しい競争社会のなかで生き残っているエリートでありバカではないので、地球資源が有限であることくらい百も承知です。そこで、さらなる周辺国を求めるグローバル化と周辺世界をバーチャルに求めるデジタル化というおそらく”最後の市場”の創造を目指しているわけです。(その先には火星という周辺などもあるかもですが。)

 

Ⅲのベクトルをイメージしている人たちは、スローライフ、ダウンシフト、オルタナティブなどのコンセプトを提唱している人たちです。

 

Ⅱのベクトル派自体、地球資源を食いつぶさないやり方であれば、決して間違えではないと思います。結果的にうまくⅢに移行できる可能性もでてくる。一方、成長こそ絶対という思考停止に陥れば人類滅亡への道筋は一気に近づくリスクもあります。

 

逆にⅢのベクトル派は、Ⅱ的「成長」を否定するあまりに「現状維持」を支持することでこちらも思考停止に陥り、やがて衰退を招くリスクがあります。

 

僕は、Ⅱ的ベクトル派とⅢ的ベクトル派すらも共存することで、はじめて安定が生まれ、人類の存続が成り立つのではないかと考えます。

 

ただ、その際どちらの派にも共通するビジョンや価値観を明確にしておくことが大切な気がします。

何れにしても、持続可能な社会を目指すことに変わりはないのですが、どのような持続可能を目指すべきなのか?ということです。

 

つまり、今やはり一番議論しておかなければいけないのは、テクノロジーやお金や原発というアウトプットを批判することではなく、「人間らしく豊かに生き続ける」というは一体どういう状態なのか?

そのビジョンの共有ではないでしょうか。

 

自殺、無差別殺人、ボランティアへの参加、農業への関心。

見田さんは、これら現代を象徴する兆候の共通点を、人として生きること=リアリティへの回帰として解釈していました。

 

正解はないのですが、わたしたちはどう生きたいか?

 

Ⅱ時代における、幸せの方程式は、「経済成長=幸福」でした。

他の生物同様、成長こそ喜びというわかりやすい時期だからこそ、ここまで急激に増殖・発展してきたのだと思います。

 

Ⅲ時代における、幸せの方程式は一体なんでしょう?

 

変曲点を迎えた今、これだけは言えることはこの方程式は変更しなければいけないということです。

 

安定平衡期における豊かさとは何か?

 

成長・発展への過度な依存思考・体質からいち早く脱却しなければ、

これからの時代では、多くの人にとって幸せになれる確率は減ってくるはずです。

僕がアクセンチュアを辞めた理由

「僕がアクセンチュアを辞めた理由」

Posted on Posted in S.4 共生プラットフォーム, S1. ワークライフ進化論, S2. スモールビューティフルシングス, S3. 大きなものの分解と再生

2月末をもって、12年間勤めたアクセンチュア株式会社を退社することにしました。お世話になった皆様方には本当に感謝しています。

これから述べることは、もちろん個人的見解です。もし、アクセンチュアの内部批判・告発を待ち望んている学生さんや転職希望者の方には期待はずれな記事になると思うので、他のサイトを当たってみてください。

アクセンチュアという会社は僕にとっては期待通り「会社員として最大限の自由を享受できるシステム」であり、素晴らしい環境でした。

僕はそういう意味で居心地がよかったのですが、そこから離れる意味というのは、アクセンチュアが先導してきたグローバル資本主義経済のシステムをつくるチームから一度離脱して、オルタナティブなシステムをつくる側に回ることにしたということです。

はじめにアクセンチュアがなぜ会社員にとって最も自由な環境なのかについて話しておきたいと思います。

一方でその環境がパラドックス的に不自由を作り出しているかもしれないという展開をします。それは個人の自由達成においても、経済の自由達成においてもです。今後、オルタナティブな勢力としてすべきこと、アクセンチュアがすべきことについて僕の考えを述べさせていただきたいと思います。

目次

1 アクセンチュアは最も自由を追求できる環境

2 個人の自由追求とその達成がもたらす不自然な生活

3 経済の自由追求とその達成がもたらす不自然な社会

4 A面とB面

5 アクセンチュアに残る同僚と後輩たちへのメッセージ

6 真の成功者とは、大富豪ではなく・・・

1 アクセンチュアは最も自由を追求できる環境

アクセンチュアという会社は、社会人の第1歩としては、最高の環境です。これ以上は他になかったのではと思います。他の会社に勤めたことがないわけですが、その違いは容易につきます。

アクセンチュアは僕にとってこんな会社でした。

・無駄な会議がない→あったら自分で潰すことができる

・できの悪い上司もいない→いたら、自分でプロジェクトチームから外すことができる

・できない部下もいない→いたら、同様外すことができる

・いやな仕事もない→あったら、最悪そのプロジェクトからリリースしてもらえばいいこと

・成果さえ出せば、給料もあがる

・合理的で成果主義なため朝9時に席に座っていろという、無意味な決まりにも縛られなくてすむ

(従って平日でもサーフィンを好きなだけできる。ただし、成果さえ出していれば。)

・やりたい仕事が必ずできる(アクセチュアは全産業、全バリューチェーンの課題解決を対象としており、かつニーズと希望のマッチング(面談)が必ずあるので、基本的にできない仕事はない、はず)

当たり前のように思っていたこれらの環境というのは、僕が最も欲していた、何にも縛られることのない「自由」そのものでした。無駄で無意味な慣習などに縛られることがない、極めて合理的なシステムです。

当然、自由であるということには責任が伴いますし、安全でない、ということです。

成果が出せなければとても厳しい環境であることは言うまでもありません。アクセンチュアの批判をネット上で発見しても、それは多くの場合、あまり仕事ができなかった人が発しているもののように思います。

2 個人の自由追求とその達成がもたらす不自然な生活

僕は、この自由な環境を生かして、アクセンチュアにいる間に、マズローの5段階欲求の階段を最速で駆け抜けてやろうと思ってやってきました。下位層の欲求である、お金をたくさん稼いで、いい家に住んで、高いものを身につけて、たくさんの女性とデートして。そんなことを30歳までに一通り卒業するほどアホみたいにやりつくしました。ひととおり自分の(下位層の)欲求は充たせる自由を手にしました。問題は、その先どこに向かうかです。

僕の持論ですが、年収はいわゆる大台を超えたあたりからは必ず何かを犠牲にしないとそれ以上稼げません。

当たり前ですね。人よりもずっと稼ぐのだから、どこかで人よりも無理=”人間として自然ではないこと”をしています。儲けている人は、多大な時間を費やす、多大なリスクとストレスを抱える、健康を度外視する、などとお金を換金しています。簡単な金儲けなどありません。

アクセンチュアの僕らの年代であれば、売上数千億~数兆円規模の企業経営に対して、数億~数十億という仕事を提案してそのお金と人を使って成果をあげる責任を一手に引き受けます。もちろん、やりがいもあるし、お金ももらえます。

ただ、ここだけの話?優秀な先輩や同僚の多くは酒や女に夢中です、笑。ディカプリオ主演の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の世界(一代で巨額の富を築き上げた主人公が酒とドラックに溺れていく)あれが成れの果てですが、そういう兆候があるのは内資外資とわず、収入の高い企業にありがちな傾向です。(統計的にはわかりません、あくまで周りを見渡していたしたときの感覚ですが、手応えは十分です、笑)

接待や部下のモチベーション維持のため、経費で美味しいものもたくさん食べられます。睡眠時間も少なく運動する時間も限られるのでどうしても太ります。そして即効性のあるマッサージを受け、専任トレーナーをつけてダイエットしたりします。買い物に頭と足をつかっている時間もないので、とりあえず間違えのない高級ブランド品を身につけておきます。

よい循環ですね!たくさん稼いだ金は、酒と女とブランド品とストレスを発散するためのビジネスに費やされ、それでGDPはあがって経済は活性化しますね!!

うーん、なんだか、変だと思いませんか、僕はとっても変だなあと思っていました。

自由を得て成功していると言われているエリート集団の多くがとっても変な?生活をしているなあと。

そういう人たちだけではないしそういう人たち自体を否定しているのではありません、僕はそういう人たちが生まれてしまっているシステム自体になんらかの欠陥があるのだと思わずにはいられませんでした。

お金持ちになったことがないのにお金のことは否定できないし、女遊びをしてないのに女遊びを否定することはできないですから、僕はマズローの階段を登り切ったときの景色が早く見たく、言いたくてここまできました。世の中他を見渡せば僕なんか全然やりきっているほうではないですが、次のステップに行くのに僕にはこれで十分でした。

3 経済の自由追求とその達成がもたらす不自然な社会

2.ではアクセンチュアという極めて合理的システムのなかで、個人が自由を追求した結果もたらされる不自然さについて述べました。ここからは視点を変えて、アクセンチュアが経済の自由を実現するために追求しているグローバル資本主義経済がもたらす不自然さについてです。

鶏の話をします。

みなさんはどのくらいの方が「平飼いの卵」を食べたことがあるでしょうか。

日本人の卵の消費は年間330個で世界で第2位でアメリカやフランスよりも多い消費量であり、卵大国であります。それを支えてきた養鶏場の経営システムのお話です。

父がよく言っていました。1950年代、卵1個の価格は公衆浴場の大人料金、ビン牛乳一本の価格とほぼ同じ15円程度だったそうです。

驚くべきことに現代でも、卵一個の値段はほとんど変わっていません。一方のビン牛乳は120円=卵8個分、公衆浴場の料金は、430円=卵2パック以上分。これがどうして成り立っているのか、考えたことがある人はそう多くないのではないでしょうか。

1戸あたり10羽飼うのが限界だったのが、今では、1養鶏場の平均は5万羽だそうです。もっとも効率化された養鶏場は20万羽を5人で回しています。温度、湿度、空調は完璧に管理されたバタリーゲージというのが全体の98%です。多くの鶏は、窓のないわずかB5の大きさの中で一生を終えます。ストレスを抱えているので餌もあまり消費されない。それがまた効率がよいわですね。

逆にストレスなく生きた土の上を歩き回って自由に育った鶏=平飼いの卵は、明らかに殻が固く、ぷりぷりしていて、その背景を知っていれば、なおさらおいしい。卵が1個100円であったとしても、それで食っていけなくなるわけではないのですが、99%の消費者は1個15円の卵をずっと支持し続けてきています。

いうまでもなく、動物愛護の観点でこの話をしているのではありません。僕は僕たちが推し進めている資本主義経済の話をしています。経営として1個15円で卵がつくれる、消費者としてその値段で買える、というのはこのシステム上は素晴らしいことだとされてきた。それがこれまで僕たちが追求してきた経済システムです。

さらにこのシステムによって、高度依存型社会、無知社会、無責任社会が生まれました。

3.11はそのことを如実に示していませんか。

僕たちは自由を求めてきたはずなのに、いつの間にブラックボックスで肥大化した巨大なシステムに依存せざるを経ない不自由な状況に陥っている気がしてなりません。

僕はこのシステムに大いなる違和感を覚えずには入られませんでした。

その理由のひとつは、きっと僕がサーファーだからです。

サーフィンというスポーツは、自然エネルギーをいかにロスなく無駄なくスピードに変えて楽しむかを追求するスポーツです。上手い人は最も効率良くエネルギーをパワーと加速に変えて、喜びに変えているわけです。

植物、動物、建築、水、エネルギー、コミュニティー、これら全てをデザインの対象とする、パーマカルチャーという概念があります。

風向きや太陽の方角などから家のデザインを決めるのは当たり前ですが、雨水、湧き水を重力で供給えきるように、住宅の排水でさえ、葦を通過して農園の小川に流れるようにデザインする。

鶏は、放し飼いにすることで、害虫を退治し、雑草を食べ、糞が土の栄養になる。単一品種ではなく複数品種の植物をうまく植えることで相互に助け合いながら成長する。鳥や魚が住みやすくして、水や植物によい影響を与えるようにするために設計する。人間の作業が最小限に住むようゾーニングが考えられる。一つの有機物が複数の役割を担う。あらゆる自然の多様性を総合的に有機的にデザインすることで、自然エネルギーのロスなく最も効率よく、恒久的に持続可能なシステムがなりたつ、ということを目指したデザイン手法です。

前述した、ゲージで完全に管理されたシステムと後者で紹介した自然と人間の多様性を踏まえて有機的にデザインされたシステムがある。どちらも極めて合理的で効率的なシステムですが、僕の大いなる関心は後者にあります。

4 A面とB面

僕は、12年前にアクセンチュアに勤めるようになり、7年前に鎌倉にきてから徐々に鎌倉にシフトしてきました。古いですが昔のカセットに例えると、前者がA面、後者がB面です。

A面は、世間一般に受ける人気の曲で、わかりやすくてビジネスとしても成功する曲です。B面は、一般的には受けないものの、アーティスト本人としては気に入っている曲です。

僕は、このカセットをつくることでバランスをとってきたのですが、ついに内なる声を無視できなくなってB面だけで生きていこうと決意したということです。

直近のB面の話です。

僕は、鎌倉で小さなお店をやっています。4年前に奥さんと細々とはじめたヨガサロンです。

ここは、これまで話してきたオルタナティブなシステムー生き方、働き方、経済、コミュニティの実験場です。

現在、ご縁があって、農家さんと鎌倉野菜をにつくっています。

週2日は畑仕事をして、テラスでマルシェをやって。旬のもの、とれたてのもの、自分たちでつくったもの、これがめちゃめちゃおいしくて。お客さんが美味しかったと喜んでくださり、珍しい食材も多いのでレシピを共有しあいながら、たまに持ち寄りパーティーをやって。

身体にいれるものから、身体のメンテナンスと暮らしを豊かにするスキルの提供、そこに集う仲間同志の情報や笑顔の交換。お客さんとは、家族みたいに結びついていって、強い信頼関係で結ばれていく。これが、先に紹介した効率化された養鶏所のような、経済合理性や効率化一辺倒の世界から自由になる糸口のひとつであり、古くて新しいアプローチではと思っています。

鎌倉には、農業、漁業、サーファー、アーティスト、古くから伝統を重んじる文化人、オルタナティブカルチャーを模索しているグループ、最近はカマコンバレー、若いクリエイターや起業家も加わって、かつてのように閉鎖的ではなく多様性が許容される土壌が生まれてきているように思います。まさに、先に紹介したパーマカルチャーのようなシステムー多様な人材が有機的に相互に助け合う状況が生まれた時に、もっとも美しいシステムー生き方、働き方、経済、コミュニティーが生まれるのだと確信します。僕はその一部となってデザインに加わりたいと思っています。

この先、リスクがたくさんある世の中になり、大きなものー会社や国家自体もどうなるかわからないなかで、

僕は今までとは逆サイド=ローカルニッチサイドにたち、できるかぎり個人の自給スキルを高めつつ、プロセスを可視化し、多様な人材とスキルをもちつもたれつ、多様なコミュニティを形成し、結束をつくりながら共同体で助け合って生きていくパーマメントシステムのモデルづくりを目指しています。大きな理想を掲げながらも、耳目口手足から離れない身体感覚を忘れずに。

5 アクセンチュアに残る同僚と後輩たちへのメッセージ

◻︎自分らしくあるがままを大切にすることの重要性

これは、僕の反省でもあるんですけども。差別化とか競争戦略だとかいいますけど、自分に正直であるというのが一番強いんだと思うんですよね。

これからの時代は確実に、個の時代が訪れます。 アクセンチュアが進めているグローバル資本主義経済がさらに世界を覆いつくすならば、ますます外国人勢力や デジタルデバイスに代替されないような、なにかがなければ仕事にならなくなるわけだし、逆にローカルニッチで生きる場合においても、個性=商売に直結します。

いずれにしても、クリエイティブでなければいけないわけですが、それは個人的経験や自分ならではさからくる。これは決して無理をするということではなくて、好きな事、いいなと思うことを追求することそのものです。

これからは僕は、好きな人と、好きな事しかやらないと決めました。でもこれは、アクセンチュアにいてももっともっとできたことでした。

若手は、なんでもできないといけないと教えられるけど、これからはそれも無視しちゃっていいんじゃないかと思います。コンサルタントの仕事って、本当にこれが正解っていうマネジメントスタイルもスキルも決まったものはない。紙がかけなくても、話が下手でも、そのことに絶対に自信をもってほしい。コンプレックスこそ最大の個性です。ほとんどの欠点は長所の裏返しですから。

ああ、これがダイバーシティーってことなんだな、と本当の意味を最近になってようやく理解したんですが、多くのマネジメントは理解してないか実践できていないと思います。同僚や部下や上司のできないことを指摘したり批判しあいます。組織に多様性がないとなぜダメなのか。それは画一的な組織はシステムとしてサステイナブルに存続しえないからです。これは格差論とも相似形です。できない人間を許容しないシステムは何代ももたない。弱者はいつかの自分であり将来の自分であるからです。

個性の発揮と組織の多様性こそが、生き残る道です。

◻︎クライアントファーストではもうだめ

競争至上主義、成功至上主義、経済合理主義・・・つきつめていくと、人間の知性が失われると僕は思ってるんです。成長すればいい、勝てばいい、儲かればいい、どんどん「内容は問わない」となる。いま特に日本は安倍政権になって反知性主義に陥っているという人たちがいますが、僕もそう思います。大衆には最悪シナリオに気付かせないように反知性化を狙い、エリートたちは水面下でノアの箱船を着々とつくっている、そんな恐ろしい妄想は現実かもしれません。

そんなことは許したくないですね。エリートこそが、中身=信念をもって、将来の社会全体のことを考えていかなければないと思います。そうでなければとんでもない社会になってしまう。自分だけ、とか家族だけがとか事業が儲かりさえすれば、じゃだめですよね。

世界一貧乏な大統領 ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカのスピーチを聞いて、僕は世界の指導者にもこんな人がいるのだと感動したことを覚えています。

「人類は発展するために生まれてきたわけではない、幸せになるために生まれてきんだ」

これからは、クライアントファーストではもうダメなんです。

クライアントが短期的にちょっと儲かることを支援しているくらいじゃダメなんです。クライアントも変な方向に行きかねないし、だいたい今の消費者は知性を奪われてしまっていますから、お客さんを騙してものを売ろうと思えばものはいくらでも売れますから、お客さんは神なんていっていては社会は決してよくならない。

アクセンチュアだけがもうかる提案なんて論外だし、クライアントの利益があがるだけでもまだ足りなくて、それが本当に価値ある提案じゃないと提案しない、この姿勢は貫かなければならない。

僕が若いときまではそういう会社だった気がします。今は正直わかりません。

なぜなら、アクセンチュアも相当大きな会社になり、株式会社としてはますます成長と生き残りをかけて熾烈な競争を繰り広げています。全ての意思決定がそんな理想的なことだけでは成り立たなくなるのは当然です。

それでもみなさんには地球の幸せと、何より自分たちの幸せを追求してほしいし、そのイズムをグローバル資本主義社会を牽引するものの使命としてみなさんに持ち続けてもらいたいなと願っています。

6 成功者とは、大富豪ではなく・・・

最後に、僕が、波乗りをやり、釣りをやり、畑をやっていて感じることは、やはり自然こそが一番の教科書だということです。

一番の成功者は、大富豪ではなく、大自然です。

もっとも豊かで、もっとも美しく、もっとも完成されたものというのは、やはり自然しかないと思うんです。

だから、四季折々の自然を感じながら生きていくことに僕たちの幸せのヒントがあるのだと思います。大事なことは人間のもっている知性と感性を研ぎ澄まし、身の回りの小さな変化に喜びを見出す力を取り戻すことです。

人工的な強い刺激による幸福感は、麻薬や農薬と同じで、依存体質をつくり、自身をもろくしてしまう。刺激がないと生きていけなくなり、なくなったらどん底に落ちてしまう。穏やかな幸せが有機的で自然な生き方で、ときどき、荒波もあるけど、それを抑えつけるんじゃなくて、それを受け入れて調和して乗り越えていく人生を目指したいものです。

僕は、今一度自然を注意深く観察し、そこから学ぶことから、人間の本当の豊かな営みー生活、経済、コミュニティーの新しいシステムづくりを目指していきたいと思っています。

一人でできることは本当に小さい事だとよくわかっています。だから、共感できる仲間・コミュニティと一緒に楽しみながら、新しいチャレンジをしていきたいと思っています。

これだけ長い文章はよい迷惑でしたね、笑

ここまで読んでいただいた方は、きっと何かを共有し一緒にできる方だと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

何か感じることがありましたら気軽にご連絡ください。

ちっぽけな僕ですが、まだまだできることやりたいことの本の一部もできていませんが、一歩一歩確実に進めていきたいと思います。 今後ともおつきあいのほど宜しくお願いします。

山下 悠 一

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3.11から4年、本当に変わらなければいけない僕たち自身の考え方。

Posted on Posted in S3. 大きなものの分解と再生

なぜ、効率化とか均一化が良くないか?

それは、一言でいうと依存社会、無知社会、無責任社会をつくるから。

 

どんなときも安定的に効率的に電気が供給されるようになりました。

なにがいけないか。原発が悪いとはいっていません。

 

そういう「安定」というものが、人の「楽をする」という本能を駆り立たせます。

その結果、安定的電力が前提となる、結果的に原発がなくてはならない依存社会になり、それがどのくらい恐ろしいものか、どんだけ大変な苦労が裏にはあるのかに対してまったく無知になって、しまいにはそれを頑張ってやってきた人たちや政治家のせいにするという無責任な社会になってしまいました。

 

結局だれが悪いかといえば、僕たち一人一人が効率化、均一化によって「楽したい」という欲望を究極まで求めてきてしまったからなんだと思います。

 

「自由」をめぐるパラドックスは実に不思議です。

人は自由になりたくていろいろなことを効率化したり均質化したりするんですよね。少ない時間で多くの果実を得るために、働く時間を減らしてやりたいことをする時間をつくるために。それ自体は決して悪いことではなくむしろ、自由に生きるために大切なことです。

 

 でも、それが行き過ぎるといつのまにか、「大きなもの」に依存し、支配される状態になる。これは逆にリスキーな状態で、いつまにか不自由という大きな箱のなかで生きていることを知らないまま、自由に生きていると勘違いした状態でいることになります。そして、あるとき突然その大きな箱に穴があいたときに、はじめてその箱の存在に気づいて愕然とするということです。僕は、3.11の教訓をそのように捉えています。

僕たちは、自由を求めてきたが、その結果いつのまにか不自由になってしまったということです。

 

じゃあ、このパラドックスの輪を抜け出す出口はどこにあるのか?

 

僕は、「倫理」と 「知性」とだと思っています。

これは、これまでの社会で重視してきた「効率性」と「論理」 に対応するものです。

 

「効率性」に勝る「倫理」というのは、たしかにこっちのほうが効率的だけど、自然環境や社会にとってはよくないよねとか、子供たちのこと考えたらやめたほうがいいよねとか、とどまる所のない効率性の追求をちょうどよいところにとどめるものです。

 

「論理」に勝る「知性」というのは、こうなっているだろう、こうあるべきだ、と頭で漠然と考えているのではなくて、実際にどうなっているのか、まず自ら知るということが第1だということです。僕たちが生きてきた消費社会というのは、「大きなもの」への依存社会であり、ひとつひとつの製造プロセスやメカニズムが完全にブラックボックス化してしまいました。実際どうなっているのか、消費者ひとりひとりが知ることが大切です。

 

「知性」を得るうえで大事になるのは「身体感覚」です。

「大きなものの論理」への依存を断ち切るのは、「一人一人の身体感覚」です。大きなものへの依存社会でたち消えてしまったのは、僕たち一人一人の感性です。大量生産大量消費のマスプロダクト・マスプローションは、一人一人のもの、ことへの感覚を麻痺させ、失わせました。

 

僕たちひとりひとりが真の人間的な知性を取り戻すことができれば、原発原発ゼロだというイデオロギー戦争ではなく、「ごく自然」なところに行き着くのではないかと思うのです。

 

ひとりひとりが、よく人の話を聞く耳をもち、手で素材の良し悪しを感じ、舌で一番体が求めているものを探し、目で本物を見る。人に任せるものは任せても、ものごとが「身体感覚」から離れすぎないことを意識する。そういう生き方、働き方が増えていけば、脱依存、脱無知、脱無責任社会の実現が可能になってくるのではないかと思うのです。

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脱コンビニ論

Posted on Posted in S3. 大きなものの分解と再生

僕は、会社を辞めてからコンビニでものを買うことが無くなりました。(これまでのクライアント様がたには大変申し訳ないのですが。)

そう決めているわけではないのですが、僕にはあそこに必要なものがないからです。

そして、僕の経営するお店は、この必要でないかもしれないコンビニにとって代わる存在を目指しています。

 

コンビニの特徴。

「利便性」・・・好きな時間に、必要なものが大体手に入る

 「効率性」・・・オペレーションを意識した均質的な品揃え

アノニマス」・・・顔の見えない存在との売り買い

 

コンビニは、お金で簡単に手に入る時代を作りました。

そうなったことで、作り手側(労働)側よりも買い手(消費者)側が主導権を握るし、労働の価値よりも購買力の価値に重きが置かれる世界観になります。これは、コンビニが普及するようになった高度経済成長期からの比較的新しい概念です。

 

購買力がものをいうということは、それを得るに至った働き方については問わないという価値観になってくる。つまり、「効率的に儲けた収入のある人間がえらい」という価値観です。

 

今の社会では、「あなた何やっているの?」と聞くとき、その相手は、購買力(収入)を意図して、値踏みするのが習慣になってしまっています。これが消費社会を物語っていますね。

 

そうすると、グローバル経済の主役である外資系とか、お金を操る金融マンがヒエラルキーのトップにたって、多大な苦労の割には報われない農林水産業はもちろん、欧州では考えられないほど日本の建築家のステータスは高くなりません。

 

飛躍もいいところですが、と一応断っておきますが、このような本来的な価値とは異なる価値ヒエラルキーを作り出したのは「コンビニ」であり、それが諸悪の根源とも言えないでしょうか。

 

僕は、大学でものごとのデザインの基礎を学び、社会にでて消費社会 の仕組みのデザインをしてきましたが、これから先のチャレンジは、「見えないもの」のデザインです。

 

事業とその延長上にある経済の目標は、成長し続けてお金生み出し続けることですが、その限界は明らかであるだけでなく、むしろ激しいスピードの成長や競争は、「見えざる資産」ー自然、健康、心の豊かさ、家族や仲間の絆ーを食いつぶしてしまっています。GDPは、自然を汚染しても、肥満になっても、うつになっても、離婚しても、犯罪が増えても、 上がりますから。

 

見えないものは、お金で交換できないものなので、経済指標には入らず、従っていわゆるビジネス社会に洗脳・依存・埋没してしまっている多くの人たちには、本当に見えなく、価値も理解しにくいものです。

 

企業が、CSRとかCSVとかいっていろいろ取り組んでいますが、多くの場合は所詮、お化粧です。それはやむおえない。なぜなら、消費者があいも変わらないからです。消費者に支持されなければ企業は成り立たない。だから、消費者が変わらないと企業も変わらないんです。

 

僕は、青空空間という小さなお店で、そのような「見えないもの」を、逆にお客様にたくさん見せていただいています。いいお客様がいれば、いい経営が成り立つ。そういうお客様たちがますますハッピーで、さらに増えていくようにできたら最高だなと思っています。

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ワークライフバランスからワークライフポートフォリオへ(理論編Ⅱ)

Posted on Posted in S1. ワークライフ進化論

前回、ワークライフポートフォリオフレームワークを解説しました。

ワークライフバランスからワークライフポートフォリオへ(理論編Ⅰ) – 元外資系コンサルタントがなぜ鎌倉で自給的生活をはじめたか?

 

今回は、4象限がそれぞれどのように相互に影響しあうのか、それをどうやって戦略的に活かすかのかについて解説します。

 

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その前に、大切な前提があります。

基本的な原則として、「あるやりたいことがらは、4象限間を移動させようと思ってはならない」というのです。

 

どういうことか説明します。

第2象限にOL、第3象限にヨガをマッピングしていたとします。ヨガのインストラクターになろうと思って、いきなりOLを辞めること、すなわち第3象限にあったヨガを第1象限に移動させよう、ということです。

これはあくまで、基本原則としてはオススメしません。

 

そういう決断をする前に十分自分の内なる声を確かめましょう、ということです。自分の中で今程度のお金を稼ぐことが精神的、生活上の大切なバランス(友達との食事、旅行、美容にかかる費用)を保っていませんか?ヨガのイントラになってそれをしばらく十分賄えない場合にどのくらいワークライフトータルで損失になりますか?ヨガを仕事にするメリットは何ですか?と深く考えてみると、解決策は、第2象限のOLをもっと効率的で働きやすい職場に転職してしまえばよいだけで、そうすることでよりヨガの時間を増やすことができ、この2つのバランスの変化でワークライフの満足がマックスになるんだ、と気づくかもしれません。

 

つまり、はじめのステップとして、4象限は4象限毎にやりたいこを分散させて、それぞれを育てていく、というのがリスクのないアプローチということです。それぞれが大きく育ってきた段階になって、はじめて入れ替え可能かどうか判断していけばよいわけです。

 

さて、その前提の上で4象限同士の影響・シナジーについて説明します。

 

Self Interest(興味・関心)→Making Money(金稼ぎ)、Social Business(社会的事業)、Social Contribution

Self Interest(興味・関心)ーこれは個人的趣味などで、お金にはならないけど自分が心から癒されたり満たされたりする活動です。これを充実させることは実は第1、第2象限つまりProfitableな(お金を稼ぐ)活動に大きな影響を及ぼします。

それは、単に精神的な満足度が仕事を捗らせるということ以上のことです。

 

詳細はまた別途にしますが、これからの時代で”稼ぐ”ためには、自己のオリジナリティが極めて重要になってくるからです。

これまでの社会では、大企業の看板の下、会社の歯車になっていれば多くのお金がもらえていたサラリーマン安定社会でしたが、これからはまったくわからなくなってきます。大企業の不安定化という流れに加えて、テクノロジーと人間との競争という流れも無視できません。わかりやすく言えば、これからはロボットと生産性を競いあう時代になってきます。その時、あなたが(人間として)あなたにしかできないことは何か?これを確立していかなければ食っていけません。そのオリジナリティを育む活動こそが、第3象限Self Interest(興味・関心)に深く関わりがあります。

 

「お金が稼げるか稼げないかという軸を一切取り払ったときに、本当に心の底から好きなことに打ち込む」

これがとても大切な時代になってきています。今まではどうしてもお金のことが頭から離れなくて、会社勤めが忙しくてそういうことができなかったところがあります。

 

 今、大企業で働いて稼いでいる人たちー僕の元同僚たち筆頭にですがー少なからぬ人たちは第3象限が欠落してしまっており、その穴埋めを酒と女と金の浪費という極めて効率的だがクリエイティビティのない強刺激で賄ってしまっています。映画「ウルフウォールストリート」でディカプリオ演じる主人公が巨額の富を築きながら、ドラッグとセックス中毒に陥っていたのは極端な例ではあるものの例外ではなく象徴的です。これでは、この先の個人社会の時代、クリエイティブ時代には生き残っていけないと感じています。

 

このSelf Interest(興味・関心)の活動は、自分というOriginal Brandをつくっていくことになるわけです。そうすることで、Core Competence(競合他者が真似できない能力)を醸成することにつながる。だから、第1、第2領域へ大きな影響力を及ぼすのです。

(ここから、僕の提唱するポスト資本主義時代における経営論ー 顧客志向・競合戦略からの脱却、自分志向経営へと繋がっていきます)

 

Ⅲ. Self Interest(興味・関心)→Ⅳ.Social Contribution(社会貢献)

 

さらに、Self Interest(興味・関心)の追求によって得られるOriginal Brandの発信は、仲間、Communityを形成するようになる。そこから、徐々に仲間と社会に対する働きかけや影響力を及ぼしていくことができます。Individual(個人的)からSocial(社会的)への移行です。そこから意義のある活動がProfitableな(利益を生む)Social Business(社会事業)に発展する可能性があることは言うまでもありませんね。

 

Ⅱ.Making Money(金稼ぎ)→All

 

やっぱり、お金は大事ですね、笑 Ⅲ.Self Interest(興味・関心)もⅣ.Social Contribution(社会貢献)も充実させるためには、お金があるに越したことはありません。結局ワークライフを充実させる上で、お金を稼ぐ=他の活動への投資原資(Investment)を効率的につくる、ということは重要です。

 

そこで最初の原則に戻るわけです。大体「仕事がつまらないから辞めたい」という人たちは、この第2象限と第3象限を混同してしまってドツボにはまります。そうではなくて、今やっている仕事というのは、第2象限である、あるいは仕事を第2象限と位置付ける、そのために転職する、という”割り切り”も戦略です。僕の場合は不動産投資などの不労所得を得る仕事をここに位置付けています。他の3象限に時間を投資するために、少ない時間で稼ぐ柱をつくる、というのは戦略的なアプローチになります。

 

All→Ⅰ. Social Business(社会事業

 

そして、やっぱり矢印の終着点は、Ⅰ. Social Business(社会事業)になると思います。もちろん個人差はあって、この領域が不要とするポートフォリオを組む人だって大勢いると思います。本当に第1、第2象限(お金)がなくても満足出来る人には不要です。

 

ただ、多くの人は、社会に貢献できてお金も稼げたら最高だなあと思っていると思います。しかし、それは最も難しいことです。僕の整理では、他の3象限を育てていく中で、はじめてこの第1領域に昇華していく最終段階のものだと思っています。

マズローの5段階欲求に近いですが、最後は自分自身が社会に貢献している、という状態が最も満足のいくことのひとつではないかと思います。

 

 

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ワークライフバランスからワークライフポートフォリオへ(理論編Ⅰ)

Posted on Posted in S1. ワークライフ進化論

なぜ「ワークライフバランス」が上手くいかないか 

 

ワークライフバランス」がうまくいかない理由として 

・ワークとライフをトレードオフの概念と定義してしまっているから

・「ワークライフバランス」が個人のためではなく、企業・政府側のためのプロモーション施策に成り下がっている 

 

これからは、以下のパラダイム転換が必要

・バランスという概念から、ポートフォリオという概念へ

トレードオフの概念から、マキシマイズするという概念へ

・企業における個人のワークライフから、個人軸にたったワークライフの設計へ 

 

と書きました。今回はその続きです。

 

ワークライフポートフォリオとは何か?

この場合の「ポートフォリオ」とはデザイナーにとっての作品集のことではなく、「ワークライフでやりたいことの組み合わせ・構成のこと」を指しています。経営において事業や製品の投資配分を使うときによく使うものを個人に応用したものになります。

 

具体的に説明します。

 

まず、縦軸と横軸の4象限をつくります。

縦軸 Profitable – Nonprofitable

横軸 Social – Individual

 

そうすると図のようになります。

 

work-life portfolio_v1.0.001

 

第1象限 Social Business(社会的事業

第2象限 Making Money(金稼ぎ)

第3象限 Self Interest(興味・関心)

第4象限 Social Contribution(社会貢献)

 

ワークライフにおいて、個人が実現したいことはおおよそこの4つのどこかに分類されるはずです。まず、自分の関心事項がどのようにマッピングされるか、可視化してみることがとても重要です。

 

自分は社会貢献がやりたいんだ!という人がいるとします。本当にそれだけですか?他に欲望はないですか?

よく考えたらやっぱりお金を稼ぐことも大事だ、ということもあると思うんですね。自分の内面と向き合って洗いざらい自分の内なる欲望をだしておくことが大事です。

 

ワークライフバランスの多くの問題は、自己の欲求を現状への不満、何らかのマス情報の影響や固定観念から私はこれだ!と思い込んでしまってそれに固執してしまうことにあります。私はヒルズ族みたいに金持ちになりたい、私は趣味を仕事にしたい、私がやりたいことは社会貢献だったんだ、と。

 

でも、大抵人の欲はもっと深くて、1~4のどれもやりたいはずなんです。(4象限毎の優先度に個人差はあれど)そのことを始めから無視してしまうことから不幸は始まります。

 

お金をたくさん稼いだが不毛な人生だった、やっぱり趣味を仕事しちゃいけなかったんだ、いくら社会貢献してもお金がないとやっぱりきつい・・・というオチです。

 

この4象限に人生でやりたいことをマッピングしきって、文字通りポートフォリオを組むことがとても重要です。

この4象限はそれぞれの領域が影響しあうので、優先順位をうまく組み立てることで、好循環が生まれるのです。

 

つまり、限られた時間とスキルを有効に使って戦略的に4象限の充実を最大化することこそが、まさにワークライフバランスからの脱却としてのワークライフポートフォリオの考え方です。ワークライフバランスから、ワークライフマキシマイズへの転換です。

 

まず今すぐ自分のやりたいことを4象限にマッピングしてみてください。こんなにアンバランスだったか?この領域もっとやりたいことあったなあ、などなど、様々な気づきがあると思います。

 

では、次回は4象限がそれぞれどのように影響しあうのか、それをどう戦略的に活かすかについて説明します。

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「ワークライフバランス」が上手くいかない2つの理由。

Posted on Posted in S1. ワークライフ進化論

昨今は、女性起業家、企業、政府までワークライフバランスを重要施策として打ち出していますが、なかなか一筋縄にはいかないところだと思います。

 

ワークライフバランス」が上手くいかない理由

1.ワークとライフをトレードオフの概念と定義してしまっているから

 日本語にすると、「仕事」にたいして「余暇」というように、仕事というものに対して、ライフがそもそも「余り」という概念であり、仕事を減らして余暇を増やそう、という発想がこのワークライフバランスの根本概念にあります。

 

結果、施策としては、長時間労働を減らすBPR策や、理由をつけて休めるようにする育児休暇などの施策に終始します。

 

これでは、とても根本的なワークライフの問題を解決することにはなりません。

かつての「ゆとり教育」と同じような事態を招きかねません。

 

まず第1に、ワークとライフをトレードオフの関係として、バランスをとるというパラダイムを捨てるべきです。

 

 

2. 「ワークライフバランス」が個人のためではなく、企業・政府側のためのプロモーション施策に成り下がっている 

各企業、激しい人材獲得競争のなか、我が社はワークライフバランスをこんなにとっているというのが目下重要なアピールポイントになっています。そこには、世代論もあり、社会人1年目~5、6年目(28歳くらいまで)の生意気盛り、伸び盛りの人材が、もろ”ゆとり世代”(1987年~2004年生まれ)にはまってしまっています。

彼らの冷めきった会社への忠誠心をつなぎとめるために企業は必死というわけです。

 

そうすると、ますます彼らを甘やかすかのごとく「そんなにがんばって仕事しなくていいよ」社員からも「残業代はでるんですか?、それって有給ですか?」ってなゆとり化現象が一方ではじわじわと起きつつあります。

 

僕自身は、その一つ上の失われた世代の部類で、バブルが弾けたり、ネットバブルが盛んになったりはじけたり、就職氷河期なんて言われて、まあいろいろな波乱があった中、それでも団塊世代を親にもっていたから、黙って働くべし、成功すべし、未来は明るい、というマインドの人間が多く、コンサルティングや起業などのハードワークを進んで臨み、それらを賞賛する空気がありました。

 

そこからますます経済が低迷する中、疲弊していく人間たちからワークライフバランスをという声がでてきた側面もあるんだと思います。いつの時代も、頑張っている人間はそれなりにバランスをとっていたし、取れていなくてもそれ自体を問題視することにはならなかったのではないでしょうか。

 

ワークライフバランス」が、弱者にとっての甘い誘い文句という位置付けになってしまっていないか?ということが危惧されることです。

 

本来、ワークライフバランスとはもっとポジティブに、人生を最大限謳歌するためものであるべきだと思います。

それは、決して企業のプロモーション活動ではなく、個々人の幸せの追求という視点に立脚するべきものであるはずです。

 

僕がこれから提言する、本当の意味でのワークライフバランスのあり方とは、

 

・バランスという概念から、ポートフォリオという概念へ

トレードオフの概念から、マキシマイズするという概念へ

・企業における個人のワークライフから、個人軸にたったワークライフの設計へ

 

 

というパラダイム転換です。

 

つづく・・・